騒動

 全国的にみても大規模で凄惨を極めた大原騒動は、飛騨代官大原彦四郎・亀五郎父子治政下の明和8年(1771)から天明8年(1788)まで、断続して勃発した農民騒動である。明和・安永・天明騒動の3つに分けられる。
 騒動の原因は、大原彦四郎代官の元伐中止、年貢増石、また息子の大原亀五郎郡代の公金不正使用に対してであり、我国の農民一揆史の中では特筆すべき事件である。