飛騨の鉱山

 林業とともに飛騨の産業を代表する金、銀の鉱山は、神岡鉱山の中心をなす茂住・和佐保鉱山(飛騨市神岡町)や平湯鉱山(高山市奥飛騨温泉郷)などがある高原川流域をはじめ、荒城川流域や小鳥川・庄川流域に分布していた。これらの鉱山は16世紀末頃から開発が進んだものの、17世紀後半には衰退してしまう。その後、18世紀前半には茂住・和佐保銀山などが主として稼動している。
 幕府直轄地時代には銅・鉛が主体となり、和佐保と茂住の2鉱山を中心として高原川・庄川および益田川(飛騨川)流域の銅・鉛山の採掘が行なわれ、18世紀後半には益田川流域の中洞(高山市高根町)・山之口銅山(下呂市萩原町)が開発されて産銅量が増加した。
 19世紀に入ると銅・鉛からの銀絞りが重要な目標とされたこともあって、幕末期には和佐保・鹿間(飛騨市神岡町)などの銅・鉛山では著しく採掘量が増大し、茂住銀山や周辺山々の開発も進められた。
 鉱山経営は歩持や下稼人、精錬の吹所請負人など、高山町人を中心に行なわれたが、農民や村方が経営する場合もあった。また農間余業として大工・陸廻り・飯炊きなど、鉱山での労働に従事することもあった。一般に飛騨の鉱業は資本が小さく、数十人が集中して稼業するという小規模で分散的な経営が主流をなしていて、それは近世を通じてあまり変わらなかった。
 鉱山の位置図(『絵図』第96図)を掲載した。