白山に対する信仰の起源は、泰澄伝説によって語られている。
白山参道としては、加賀馬場(かがばんば・鶴来白山比咩神社・つるきしらやまひめ)、越前馬場(勝山平泉寺・かつやまへいせんじ)、美濃馬場(白鳥長滝白山神社・しろとりながたきはくさん)の三馬場を経由する3つの参道が開かれており、日本海側と太平洋側を1つの信仰圏にしている。白山登山図(『絵図』第92図)を掲載した。
白山神社は美濃・飛騨に濃く分布している。中世末期に至って、長滝寺の塔頭は諸国に信徒獲得の活動を行なうが、その一例を経聞坊(現郡上市白鳥町)についてみれば、15世紀末には檀那・先達を美濃・飛騨をはじめ尾張・伊勢・三河・遠江に持ち、さらに他の塔頭からもそれを譲り受けながら自らの檀那所を拡大している。