目次
/
(二)飛騨国の中世、近世
一向宗の流布
飛騨における一向宗の布教は、飛騨川を北上する教線と庄川(しょうがわ)を南下する教線がある。
飛騨川を北上する教線は美濃各務郡平島に生れた願智坊覚淳が、まず益田郡小坂(下呂市小坂町)に、続いて吉城郡高原郷吉田(飛騨市神岡町)に道場を開き、のち聞名寺(富山県八尾町)の寺号を得て布教を広げた。
庄川を南下する教線は嘉念坊善俊が15世紀半ばに白川郷に至り、まず鳩谷(大野郡白川村)に道場を、のち中野(高山市荘川町)に照蓮寺を開いた。