近代

 幕末の美濃国は、総高約65万石のうち約18万石の幕府領と、合計11万石に達する75家に及ぶ旗本領とが散在し、残りの地を7つの藩と国外3藩が支配していた。
 国外藩のなかでも尾張藩は美濃に12万石を領有し、これは美濃諸藩のなかで最大である大垣藩10万石を越えていた。
 飛騨はすべて幕府直轄領であった。明治政府は慶応4年(1868)4月15日、美濃・飛騨両国の幕府直轄領の収公に成功すると、笠松に裁判所を設置、同月18日総督および権判事2名を任命して、朝廷直領の管轄に当たらせた。
 高山県では、梅村速水知事の施政に反発して梅村騒動が発生し、同氏失脚後、監察司宮原積が着任した。明治4年(1871)11月20日、府県の統廃合により高山県は廃され、飛騨3郡は筑摩県に統合された。高山県時代に作製された地図(『絵図』第63図)を掲載した。