飛騨川

 木曽川は松本平との分水嶺を形成する鉢盛山(2446.4メートル)を源流とし、山地・丘陵・盆地内を南西流し、濃尾平野を流れて伊勢湾に注ぐ。美濃加茂市で飛騨川と合流する。
 飛騨川は乗鞍岳の西斜面を源流とし、小坂川・馬瀬川・白川などの支川を合流する。旧益田郡付近では益田川とも称される。流域面積2167.1平方キロ、幹川流路延長151.1キロ。一級河川で木曽川水系最大の支流。宮峠付近の頂稜部には、古い飛騨川の砂礫層がのり、北飛騨地域にまで追跡されることから、かつて北流し日本海へ注いでいた古い飛騨川は、第4紀初頭以降の江名子断層・宮峠断層などで隆起した位山分水嶺山脈によって流路を塞がれたために、現在の河道をとるようになった。
 飛騨川では、和良川と合した馬瀬川との合流点に位置する金山が、材木の川下げと上有知(現美濃市)方面とを結ぶ拠点として重視され、享禄元年(1528)には、6本に1本という材木運上を徴収する役所が設けられ、その後は京都の商人永井一曹が材木運上を徴収したという。元和元年(1615)に尾張藩領となってからも「材木六分一役」徴収の金山役所がおかれ、寛永19年(1642)には、代銀納制・徴収基準を定めた手鑑作成など徴収制度が整備された。
 飛騨が幕府領となり材木の搬出が少なくなるに伴って、材木到着ごとに役人が出向いて間尺改を行なうことになり、役銀徴収は問屋があたった。