東山道は、律令体制下の大行政区分である七道の1つ、東山道諸国を貫いて設けられた官道である。京から近江国・美濃国・信濃国などを経て陸奥国に至る。途中、その沿線からはずれた国には支路を設けている。
東山道から分かれ、飛騨の「国府政庁」に至るまでのルートが「飛騨支路」である。「延喜式」兵部省によると、駅家は、美濃国武義駅・加茂駅(以上駅馬4)、飛騨国の下留駅・上留駅・石浦駅(以上駅馬5)がある。飛騨支路には、このほかに菅田駅があったことが知られる。
律令体制が完成した頃の飛騨国は、荒城、大野の2郡であった。後、益田郡ができ、3郡となった。9世紀前半の「和名抄」の郡郷には、益田郡に益田・秋秀、大野郡に大野・三枝・阿拝・山口、荒城郡に名張・荒城・深河・飽見・余戸・高家・遊部の合計13郷が見える。