第1~5図は、伝存があまり知られていなかった寛永10年(1633)の国絵図である。幕府巡見使が3人1組の6班で全国を分担巡察し、巡察の報告とともに国絵図を3代将軍家光に提出した原本の写しである。目的は諸大名の治政の監察、道筋と国境の見分、古城の見分(一国一城令に違反していないか)である。
寛永の国絵図は、江戸初期の全国68カ国を各国1枚ずつに仕立てた国絵図の一揃い、またはその一部が、いくつかの大名家文庫に伝存している。完全に近く揃っているのは秋田県公文書館、山口県文書館(毛利家文庫)などで、名古屋市蓬左文庫にも過半数がある。
江戸幕府が国家支配をする中で、もっとも重要な事業として全国の郷帳と国絵図の収納があった。
よく知られている国絵図としては慶長、正保、元禄、天保時代のものがある。正保期からは縮尺が定められ、全国統一様式での絵図となった。
第1~5図は刊本所収の各絵図である。
・巡見使氏名は関東の分担区域(飛騨ほか15国)で、
正使 小出大隅守三尹(1万石、7千石役)
副使 永井監物白元 (使番)
副使 桑山内匠貞利 (書院番)である。
第1図の飛騨国図はあっさりとした絵図で、概要がつかみやすい。江戸街道は平湯から安房峠越えと、小日和田から長峰峠越えが記されている。古城の表記では、北から「茂住」「舟津」「増島古城」「萩原」「下呂」「下原」の6カ所がある。
第2~5図の周囲国絵図は、飛騨国からの街道接続に見るべきところがあり、交通の状況を知ることができる。
註1 刊本「川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』2002年柏書房株式会社発行」中に掲載してある図の頁 美濃22頁、飛騨23頁、信濃24頁、越前32頁、越中35頁