第7~9図は正保年間(1644~)に作られた国絵図である。江戸幕府が全国の国主から国絵図を提出させたものの写しである。奥書に、「図書局文庫」「中川家蔵書印」の朱印がある。金森時代の国絵図であり、街道、在所、隣国への里程、山岳、東照宮、安国寺などが記入されている。
この正保年間の飛騨国絵図は吉城郡、大野郡、益田郡の3区域に分割されている(第7~9図)。第9図益田郡の北端、朝日地域の辻~上ヶ見の部分が欠損している。第7図吉城郡の端書に石高がある。
益田郡 高九千弐百弐拾四石三計(斗)三舛壹合
大野郡 高壹萬弐千三百拾弐石弐計八合
吉城郡 高壹萬七千弐百弐拾八石四舛壹合
都合 三萬八千七百六拾四石四計
○隣国への街道表記
(3郡別、吉城郡第7図、大野郡第8図、益田郡第9図)
吉城郡中 越中東街道の横山村から北への道
「飛騨国杉山一里山ヨリ越中境目迠廾(廿)五町七間
同国八日町村ヨリ境目迠九里余難所
十月ヨリ明ル四月迠牛馬不通」
吉城郡中 越中西街道の小豆沢村から北への道
「飛騨国小豆沢一里山ヨリ越中境目迠十八町
同国落合村ヨリ越中境目迠六里九月ヨリ明ル
四月迠牛馬無通路難所」
※籠の渡しは茂住村、中山村、谷村の3カ所にある。
吉城郡中 角川から二ツ屋村を通る道
「飛騨国角川村ヨリ越中境迠四里半難所
九月ヨリ五月迠牛馬無通路」
吉城郡中 平湯村から平湯峠(絵図では平湯峠と記してあるが、現在の安房峠)を通る道
「飛騨国平湯之一里山ヨリ信州境目迠
廾(廿)三町廾(廿)間難所十月ヨリ明ル四月迠
牛馬不通」
大野郡中 下白川郷(現白川村)から北への道
「飛騨国境目一里山ヨリ越中之内
赤尾村迠拾四町拾間
飛騨国西上峠ヨリ越中境目迠
拾六里難所十月ヨリ明ル四月迠
牛馬無通路」
大野郡中 野々俣村から郡上への道
「飛騨国境目え一里山ヨリ信州(濃州の誤記か)郡上え一里山迠拾一町
西上峠ヨリ境目迠五里余難所十月ヨリ明ル三月マテ牛馬無通路」
益田郡中 小日和田から信州への道
「飛騨国長峰一里山ヨリ信州境目迠
拾四町七間霜降ヨリ明ル三月マテ牛馬通路ナシ」
※野麦峠越えの道は記されていない。
益田郡中 下原町から美濃への道
「飛騨国下原町一里ヨリ濃州金山村迠
卅(丗)町余境目舟渡川廣拾五間余中山
七里之内難所」
益田郡中 御厩野から中津川への道
「飛騨国御厩野村ヨリ濃州境目マテ廿五町」
○社寺表記
(本絵図に記載されている社寺は、当時の著名なものと思われる)
〈大野郡〉
東照宮(高山)、飯山(高山)、山王(新宮)、一宮(一之宮)、若宮(石浦)、千光寺(下坪)
〈吉城郡〉
桂明神(上宝)、安国寺(国府)、小萱薬師(神岡)、園城寺(神岡殿村)、五社明神(国府宇津江)
〈益田郡〉
観音(小坂)、葛宮(萩原)、圓通寺(中呂)、寺(御厩野)
○金山、銀山表記
(本絵図に掲載されている箇所以外にもあったと思われる)
〈大野郡〉
森茂村(2箇所)、六厩、神瀧(荘川)
〈吉城郡〉
森歩(丹生川)、茂住(銀山・神岡)、和佐保(銀山・神岡)、天生村付近(河合)、飛騨神社(古川)
この正保時代の国絵図は、金森時代における街道、在所、景勝山地、隣国への街道道程などを知る上で重要な資料である。各在所集落名は、金森時代における呼称として確認され、一部写しまちがいと思われるところもあるかもしれないが、後述の天保時代国絵図(第11~14図)との比較検討により江戸時代における飛騨国の集落の様相が明らかになるであろう。