[『伊能大図総覧』-飛騨国-(第22~25図)]

『伊能大図総覧』-飛騨国-高山第22図
[目録]
第23図
『伊能大図総覧』-飛騨国-木曽福島第24図
[目録]
『伊能大図総覧』-飛騨国-郡上八幡第25図
[目録]


 第22~25図は、伊能忠敬とその測量隊が沖縄県を除く全国を測量して作成した、日本全土の地図の内、飛騨国の関係分である。第22~25図は『伊能大図総覧』(以下伊能図と略す)に掲載してある飛騨国の分について国立国会図書館の許可を受けて複写、掲載した。
 伊能忠敬測量隊は、寛政12年(1800)から文化13年(1816)までの17年にわたり全国を実測した。のべの測量日数は3,754日、夜間に天体観測を行なった日数は1,404日という。
 伊能忠敬は全10回の測量旅行を行なったが、日本全土を網羅する日本地図を幕府に上呈したのは、忠敬の死後3年余の文政4年(1821)である。最終上呈図は大図214枚、中図8枚、小図3枚であった。大図は3万6千分の1、中図は21万6千分の1、小図は43万2千分の1の縮尺である。
 幕府へ上呈されたこれらの地図原本は、上呈本(正本)が明治6年の皇居炎上の際に焼失、伊能家から追加献納された控図(副本)も東京大学の図書館に移された後、大正12年の関東大震災で焼失してしまった。しかし、模写本が国立国会図書館やアメリカ議会図書館に保存されていた。これを渡辺一郎の監修(註1)により、(財)日本地図センターが編集し、『伊能大図総覧』が発刊された。
 忠敬が飛騨へ測量に入ったのは、文化11年(1814)、69歳のときである。第8次測量隊は文化8年11月25日に出発し、帰着は文化11年5月3日(新暦1814年7月9日)であった。
 伊能図の索引図では第24図「109」が高山市高根地域(註2)と長野県西部、第22、23図「112」が高山、国府、朝日、久々野地域と飛騨市を掲載している。第25図「113」は下呂市と武儀郡、恵那郡の一部が掲載されている。この「 」内の番号は、伊能図原本資料の番号で、地図の裏面に番号が透けて見える。
 第22、23図「112」は、北は旧吉城郡古川まで、南は旧益田郡桜洞村まで、東は猪鼻村が記され、第24図「109」へと接続する。伊能図には凡例があって「○」が宿駅、「☆」が天側点になっている。
 第23図は第22図の部分拡大図である。伊能測量隊は、飛騨国の中で北は古川までの測量になっている。宿駅は北から古川町方村、高山町、江戸街道(東方向)に向かって、山口村、甲(かぶと)村、黍生谷(きびうだに)村に○印が付く。高山町から尾張街道(南方向)は、無数河村久々野宿、小坂町村に○印が付く。阿多野から日和田、開田へと通ずる道は記されておらず、野麦峠越えの方が一般的な道であったのだろう。飛騨川は途切れることなく描かれているが、名称の記載はない。
 「112」中、☆印の観測点は高山町、甲村、無数河村、小坂町村の4カ所がある。天体観測、御嶽頂上に向けての方位測定などが行なわれた。江戸街道のルートは、上見村から黒川村へのルートが記され、寺附を通る対岸ルートより黒川村ルートの方が当時よく使われたのであろう。尾張街道のルートは、飛騨川の右岸、左岸の両方にあったが、当時、一般的によく使われたルートが伊能図に記され、尾張街道主要ルートとして参考になる。
 第24図「109」は御嶽が中程に描かれ、高根地域の中之宿村から東の方向へ下ノ向村、日影村、大古井村、上ヶ洞村、阿多野郷村、寺坂峠、野麦村、野麦峠、国境(飛騨国益田郡、信濃国筑摩郡)へと進み、奈川村川浦、寄合渡、薮原へとつながる。
 第24図「109」中、宿駅は西から中之宿村、野麦村、奈川村寄合渡、萩曽村紫原、薮原(中山道)に○印が付く。木曽川に沿って中山道を通る測線は第7次測量の成果で、そのほかは第8次測量の成果である。☆印の天測点は、中之宿である。
 第25図「113」は、旧益田郡の萩原町村から下原町村(下呂市金山町)までと、そこから西へ郡上八幡への道程が記される。八幡には城郭が描かれ「青山居城」と記されている。また、小川村(下呂市下呂町)から東へ分かれて乗政村、加子母村を経由して中津川市方面へ通ずる道程が記される。宿駅は北から萩原町村、湯之島村、東へ分かれて乗政村、加子母村中切に○印が付される。森村(下呂市)から飛騨川沿いに南下するルート沿いは、保井戸村、下原町村、金山村金山町に○印が付される。
 第25図「113」中、下呂市の小川村から初矢峠を越えて乗政村に出、宮地村までの道は山中を通る。このルートは東山道飛騨支路の旧道であり、飛騨匠が通った奈良時代以来の道として知られる。
〈伊能図の意義〉
 統一的な方法で全国を測量して作られたはじめての日本地図として、日本の地図作成史上、大きな意義をもつ。江戸時代にどのような利用がされたか、詳しくはわからないが、明治に入ってからは国土の基本的な地図として大いに利用されている。
 もし伊能図がなかったら、日本の近代地図作成事業進展のあゆみは、遅れただろうといわれる。
 
註1 渡邊一郎監修、(財)日本地図センター編集『伊能大図総覧』 (株)河出書房新社 2006年発行
註2 高山市は平成17年に周辺9町村と合併した。現在、合併前の旧町村地域を「高山市□□地域」と呼称している。