第33図 [目録] |
この図は嘉永5年11月に、飛騨における塩が運ばれた道を記したものである。付せんが9カ所あり、街道の説明と、西国塩の記述がされている。
付せんの内容は次のとおりである。
〈谷、蟹寺辺りに貼付〉
此処富山領蠏寺(かんでら)村之城下ヨリ八里 是ヨリ東西江分ル
古川行等 西道通り千駄斗(ばかり)
高山近在迄入
高山舩津行共(とも) 千八百五拾駄余
谷村ヨリ中道通り之分
東道通(り)三千俵作り 都(すべて) 而九百二拾駄
相登り候分舟村等入
願人之内横山村也
〈下原町の位置に貼付〉
此処ヨリ美濃金山口ヨリ西国塩為相登(のぼ)せ、益田郡
従来喰塩(たべしお)ニ仕来リ場所ニ御座候事
〈高山町の位置に貼付〉
此処高山也
〈大沼村の位置に貼付〉
願人之内大沼村也
〈岩井谷の位置に貼付〉
平金鉱山
また、本紙裏には
嘉永五年十一月飛州行御塩之儀ニ付御塩所へ来たる絵図
木村権三郎様荏島古泉様ヨリ堅く仰せ渡され 調べ上ル
扣(ひかえ)
十一月廿日上ル
但本文ハ 大野郡黄 益田郡薄赤 吉城郡鼡
この絵図では、各在所がきれいに記されていて、四角で囲われ、その中は郡別に色分けされている。大野郡は赤色、益田郡は黄色、吉城郡は橙色である。
また、川は青色、道路は赤色の線で記され、口留番所も記入されている。高山からの東西南北主要街道と、そのほかの隣国への街道が網羅され、里程も記入されている(表2)。小さな絵図だが塩に関する記載以外にも情報量は多い。
端書には3郡の村数が記されており、大野郡は9郷で136百カ村、益田郡は9郷で100カ村、吉城郡は6郷で178カ村、此村数合わせて414カ村で、▲印の16カ村は寺領地とある。
また、白地の在所9カ村は美濃領とあり、金山、田渕などは美濃領であるが、絵図に記入されている。運材上必要な在所であった。
表2 隣国への街道 行先と高山から国境までの里程 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※絵図の左回りで順に記載 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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