日光・出流・岩船 参詣
袖中旅日記
飛州高山 打保屋彦六
※1 天保9年の閏月は4月
※2 岩船・出流・日光(男体山)は、古くから日光修験の代表的中心行場で、彦六は他の行場も何カ所か巡拝している。
※3 この旅日記は江戸出立の日から始まり、江戸着の日で終わっている。
閏四月十六日朝出立巳ノ刻
一 金弐両弐分 持出
銭四百文
百三拾弐文 草加中飯
茶代等〆
弐朱 幸手
福田屋宿料
一 弐百八拾八文 右同断
十七日八ツ過より雨
八拾四文 戸根川
舟ちん橋代共
同
弐百九拾弐文 中飯菓子
茶代
同
弐朱 岩船玉木屋
宿料
一 弐百八拾八文 右同断
十八日天気
弐朱 出
一 八百弐拾四文 入
三百四拾文 出流山
山代
壱人 三山
百六拾八文ツゝ
※4「右同断」の意味不明
※5「出」「入」の意味不明
十八日
三百六拾四文 中飯代
茶代案内等
四百弐拾八文 賄代洒菓子
わらんじ
燈明料
〆壱貫八百八文 八百五拾六文 壱貫六百五拾四文 残改 弐百五拾弐文 |
弐朱 粟野嶋屋
宿料
一 弐百六拾文 右同断
十九日少曇
壱朱ト 山入用案内共
七拾弐文 屋鑿 壱人八拾四文ツツ
山入用 □□代弐百文
さいせん裏山案内
百文
百文 粟野
弁当代
弐百八拾七文 さいせんたばこ
小遣等〆
残四拾九文有
弐朱 小来川古崎屋
宿料
一 三百弐拾四文 右同断
廿日朝雨
弐分 清四郎へ
渡ス
百四拾八文 中飯洒代
わらんじ
廿一日曇
壱朱 出
一 四百拾六文
三朱 日光拝見入用
宿料中飯代
一 弐百七拾四文 右同断
三百八拾四文 とうがらし
大三箱小三箱
弐拾三文 日光賽銭
九拾弐文 中飯□代
壱朱 宇都宮関屋
四拾六文 宿料
閏四月廿二日天気
三百弐拾文 中飯菓子
茶代わらんじ
□□
弐朱 古河東納竹屋
宿料 二五ツゝ
一 三百弐拾四文 右同断
廿三日天気
九拾文 中□渡シ
百六拾八文 中飯菓子
わらんじ
廿四日雨
弐朱 草加み奈屋
宿料弐百六四ツゝ
一 三百文 右同断
百拾弐文 中飯さいせん
等
〆 弐両弐分
三貫七百拾八文
壱両三分ト
三貫五百弐拾弐文
残 三分ト
百九拾弐文
一 弐両弐分ト
四百文 持出
弐分 日光ニて
清四郎渡シ
壱両壱分ト 道中
弐百四文 入用遣ウ
引〆三分ト
百九拾弐文 改
-(絵)-
宇都宮森田之時計之
図一切天地ノ事此ノ時計
に有り。
横
-(絵)-
下ノ浪形ヨリ上金物細工見事
掛カエ三十日に一度ツゝ
日月ノ行動
真向之図
-(絵)-
此所ニ池有リテ
塩ノ差引キ有リ
下ノ鳥時打ツトキ羽ウチヲスル
月々廿四日開帳、両ひがん此の日共朝開
帳有り。別段開帳致し候時ハ、料三匁。
七月廿四日も大呼集。
奥院より山越ニ致し申し、出野寺村へ出、
峠を越し葛生出、正雲寺村より出流
山へ参ル。出流より一リ之峠をこし
永野村へ出、又壱り之峠をこす。粕尾
へ出ル。粕尾より壱り余の峠をこし
粟野村へ出、粟野より尾鑿山弐り
五丁
出流山代 三山懸テ
壱人前百六拾八文ツゝ
案内人百文
※(二十九)袖中旅日記の項は林格男氏の解説、読み下しによる。