(9)道中記の読み下し文

写真 寛政12年(1800)長崎への道中記諸記録

※宿場等を中心に抜粋した。
 
寛政十二年三月廿一日~六月廿九日
      大坂治助道中記
日記
申三月廿一日  尾崎村
同廿二日    少ヶ野村
同廿三日    美濃笹洞
同廿四日    同上有知
同廿五日    同赤坂宿
同廿六日    近江鳥井本
同廿七日
一御多が社     参詣
  御本社地ヅキ見物
同日      同鏡宿
同廿八日
一草津宿入口ヨリ西右へ入り川バタ
 土手通り壱り行く。山田浦
 木内文平隠居石亭翁在宿
 對面、一宿致す。奇石見物。
同廿九日九ッ時 山田浦ヨリ船ニ乗り
 勢多へ着。石山開帳これ有り、参詣。
 石亭より切手二枚貰ひ、石山本堂
 役人へ遣す。本堂垣内入り拝む、有難し。
 三十三年目御開帳のよし申す事也。
 
四月廿九日   石山茶屋
同毎日  京烏丸押小路上ル
           〆
四月朔日より同十九日迄 本店下代
           〆
 同十九日九ッ時出立
同十九日七ッ時着 伏見
同夜船ニ乗り同廿九日朝大坂着
同廿日より同廿二日迄 大坂長町□印
 同廿日
 一所々参詣、見物。案内取る
 同廿一日
 一大芝居    見物
 同廿二日伏見丁淀や橋南
 一木村氏    対面
同廿三日出立
一大坂ヨリ神崎井多見宿へ行く
 同日      津国名まゼ村
同廿四日朝暮   同有間郡湯山村
同廿五日     幡州国加年村
同廿六      同牛嶋宿脇本陣
同廿七日     備前国加賀登村
同廿八日     備中宮内
同廿九日七ッ時着 備前下津井
四日晦日
一剣御山弥谷寺     参詣
  同日
一善通寺        参詣
同日
一金毘羅山       参詣
閏四月朔日
一内町より丸亀へ百五拾丁
同日四ッ半時丸亀へ着
同日   備前下津井
同二日    備中笠岡
同三日    備後尾之道
同四日    安芸玉理宿
同五日   同海田市
同六日   同地之御前
閏四月七日朝
一地之御前より舟ニ乗り壱り。渡場
 四ッ時宮嶋へ着。案内頼む。
 同日七ッ時宮嶋ヨリ舟ニ乗る
 六り、周防立石上り、立石
 壱り岩国
同八日
一錦帯橋    見物
同九日     同宮市
同十日    長門舟木
同十一日      同赤間関
同日
一阿弥陀寺     参詣
  安徳天王御堂
同十三日
一長州赤間関より壱里半
 九州豊前内裡へ舟渡、乗る
同十四日   同はも村
一箱崎八幡宮    参詣
  箱崎半り博多橋渡り向
  福岡四り大宰府
同十五日    宰府ひたや
同日
一大宰府天満宮    参詣
同日
一坊迎寿院 二木長嘯子より
 書状預り、届ケ住 僧ニ対面
壬四月十六日四ッ時出立
同日
一軣御関所往来御改め
同十九日    諫早弾野
  諫早弐百丁矢上壱り日見
  弐り長崎
同廿日着    長崎本石灰町
同廿一日      宿子息案内
一祇園社       参詣
 清水寺
唐寺
 崇福寺
 西御坊
閏四月廿五日
一阿蘭陀屋敷  見物
同廿七日
一阿蘭陀船  是ハ例年六、七年
       着舟。当年は
       四月着船これ有り
  阿蘭陀屋敷ヨリ拾丁程
  海中ニ船かけ有り。右池、壱舟ニ
  乗り阿蘭陀船見物
同廿八日
一町見物調査
同廿九日
一唐人屋敷  見物
五月朔日
一長崎出立
  宿善吉同伴旅人会所行き
  先建て預ヶ置き候往来手形
  受取り只今出立届ヶ致し立つ
 長崎ヨリ弐り半 時津セリ舟渡し
  乗り其木へ着
- 略 -
五月晦日より六月廿日迄
一      京逗留
六月廿一日出立
六月廿九日
一高山着 帰宅
 
三月廿一日 出立
 六月廿九日 帰宅
  日数 百廿八日
 
※(三十)西国道中記の項は林格男氏の解説、読み下しによる