第88図 [目録] |
第88図は『高山線建設要覧』に折り込まれている、岐阜~高山間の線路平面図である。建設工事は、岐阜~高山が鐵道省岐阜建設事務所が施工して「高山線」といい、富山~高山は同省長岡建設事務所が施工して「飛越線」といった。
線路の平面図は5色刷りで、岐阜市から高山町までが赤色の実線で記され、トンネルは白色で記される。また、高山から北方の富山方面は飛越線として表記を変えている。
各駅には名所が掲載されている。「たかやま」には飛騨総社、櫻山八幡神社、高山公園、高山別院、高山陣屋跡、日枝神社が、「ひだいちのみや」には水無神社が、「くぐの」には乗鞍登山口、御岳登山口が記される。「ひだおさか」には高天ヶ原スキー場が記される。また、「かゞみがはら」には飛行第一聯隊、飛行第二聯隊、「なか」と「ながもり」の間には六八聯隊の名が見られる。
昭和9年、岐阜~富山間が全通すると、飛越線が高山線に編入され、「高山本線」となった。
建設要覧本文中の「一、沿革」には次のとおり記載されている。
「高山線は旣設東海道岐阜驛(東京起點四〇八粁二三〇米)に發し岐阜縣大野郡高山町に至る鐵道にして大正六年第四十議會の協賛を得て翌七年度より敦賀建設事務所の所管に編入され同年四月岐阜各務ヶ原間の測量に着手せり。其後大正八年十一月鐵道省吿示第一〇五號を以て岐阜建設事務所の設置に伴ひ當所の所管に移され、昭和四年四月全線の線路選定を了したり。
本線土工其他工事は十五ヶ工區に大別し大正八年五月岐阜方より起工し、昭和九年十月二十四日を以て軌道工事を竣功せしものにして測量着手以来茲に十有七ヶ年の星霜を經て全通を見るに至れり。」
高山線の工事は大正8年5月に岐阜から起工し、大正12年には上麻生、昭和4年には下呂、昭和7年には小坂からの工事にそれぞれ着工している。諸駅間の着手、竣工期日は表5のとおりである(註1)。
岐阜~高山間の高山線は大正8年(1919)5月21日着工から昭和9年(1934)10月24日の竣工まで15年5カ月の工事期間で開通している。
最も難工事であったのは上麻生から下呂の間で、地勢は険しく、各所に発電用水路や貯水池放水路が予定線路と交錯し工事は難関を極めた。また宮トンネルは延長2キロ余で高山線最長の隧道で、3カ年の工事期間を要した。作業人員はのべで177,500人、使用セメント袋は46,500袋を要した。宮トンネルの工事は、新施工方法の発見をもたらした工事でもあった。
註1 「『高山線建設要覧』鐵道省岐阜建設事務所昭和9年発行」11、12頁より
表5 主要工事起工並竣功 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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※高山~岐阜間137.390km 軌間1.067m 最小半径250m 最急勾配1000分の20 |