[飛越線線路平面図(第89図)]

飛越線線路平面図第89図
[目録]


 第89図は『飛越線建設要覧』に折り込まれている、高山~富山間の線路平面図である。線路の平面図は5色刷りで高山から富山市までの「飛越線」は赤色の実線で記され、高山から岐阜までの「高山線」は点線で記される。「ささづ」から富山市へは「省営自動車線」があったことがわかる。
 建設要覧本文中の「一、沿革」には次のとおり記載されている。
 
「飛越線は旣設北陸本線富山驛に發し岐阜縣大野郡高山町に至る鐵道にして大正七年第四十一議會の協賛を得て建設さるる事に決定し敦賀建設事務所の所管に編入され大正十年四月富山、八尾間の測量に着手せり。其後大正十三年十二月二十日鐵道省吿示第二五〇號を以て同事務所の廢止と共に長岡建設事務所の所管に移され昭和三年十月二十二日全線の線路選定を完了せり。
 本線土工其他工事は十五ヶ工區に大別し大正十三年六月十五日富山方田苅屋より起工し昭和九年十月二十四日を以て軌道工事を竣功せしものにして測量着手以来茲に十三年九ヶ月餘の星霜を經て全通を見るに至れり。」
 
 飛越線の工事は大正13年6月15日に富山方田苅屋より起工し、昭和4年から越中八尾、昭和6年から猪谷、昭和9年から細江でそれぞれ着工している。15工区、諸駅間の着手、竣工期日は表6のとおりである(註1)。
 富山~高山間の飛越線は大正13年(1924)6月15日着工から昭和9年(1934)10月24日の竣工まで10年4カ月の工事期間で開通している。
 最も難工事であったのは笹津から飛騨細江間で、この区間44キロメートルの間に隧道は30余、橋梁は13もある。地形の険峻に、工事の苦心の跡が見られる。細江から高山間は平地が続いて勾配、曲線共に穏やかである。
 
註1 「『飛越線建設要覧』鐵道省岐阜建設事務所昭和9年発行」8、9頁より
 
表6 主要工事起工並竣功
工 事 名着  手竣  功請 負 者
富 山 驛 擴 張 工 事昭和9年7月18日昭和9年10月15日請負及直営
第1工區土工其他新設工事大正13年6月15日大正14年9月14日佐藤助九郎
第2工區土工其他新設工事同 14年8月1日昭和 2年7月30日三ツ引商事株式会社
第3工區土工其他新設工事昭和 2年7月28日同  4年5月3日株式会社飛島組
第4工區土工其他新設工事同  3年4月1日同  5年5月18日加藤金次郎
第5工區土工其他新設工事同  3年2月1日同  5年6月20日株式会社飛島組
第6工區土工其他新設工事同  3年12月1日同  6年5月15日佐藤助九郎
第7工區土工其他新設工事同  4年1月25日同  6年5月18日
第8工區土工其他新設工事同  4年7月20日同  6年6月13日
第9工區土工其他新設工事同  6年8月1日同  8年3月22日
第10工區土工其他新設工事昭和 6年8月1日同  8年3月22日加藤金次郎
第11工區土工其他新設工事同  7年1月20日同  8年9月25日
第12工區土工其他新設工事同  7年1月15日同 8年11月22日株式会社飛島組
第13工區土工其他新設工事同  7年1月20日同  8年10月25日佐藤助九郎
第14工區土工其他新設工事同  7年9月25日同 8年12月15日加藤金次郎
第15工區土工其他新設工事同  7年12月1日同 8年12月17日
田苅屋 速星間軌道敷設並鋼桁架設其他工事大正15年1月21日同 2年8月31日直    營
速星越中八尾間 同同 15年12月1日 同 2年8月31日
越中八尾笹津間 同昭和 4年4月1日 同 4年9月19日
笹津 猪谷 間 同同  5年4月1日同 5年11月26日
猪谷 杉原 間 同同  6年4月11日同 7年8月19日
杉原 打保 間 同同  7年9月16日同 8年10月30日
打保巣ノ内 間 同同  8年4月1日同 8年10月30日
巣ノ内坂上 間 同同  8年8月1日同 8年11月11日
坂上 細江 間 同同  8年9月23日同 9年8月10日
細江 高山 間 同同  9年5月1日同 9年10月24日
猪谷 細江 間 同同  9年8月1日同 9年12月24日請    負
(土工事は15区間に分けられ、軌道敷設並鋼桁架設工事は駅間に分けられている)
※高山~富山間88.213km
軌間1.067m  最小曲線半径250m  最急勾配1000分の20