第94図 [目録] |
この図は、高山税務署が税務統計作業をするために作製した地図である。地図の裏面に「明治四十年五月作製 税務統計台帳附属図 高山税務署」とあり、「THE TAKAYAMA TAXATION OFFICE」の記入がある。
凡例はない。郡境は二点鎖線で、町村境は一点鎖線で区切られる。高山地域(旧高山市の区域)は、高山町、灘村、大名田村、上枝村、大八賀村の行政境を知ることができる。
郡の境は現在と相違する。高根村、朝日村は益田郡に組み込まれている。下呂市萩原町は、萩原町、川西村、山ノ口村に当時、分かれていて、その内山ノ口村は大野郡に含まれていた。その後は、益田郡となった。飛騨市神岡町は袖川村、船津町、阿曽布村に分かれ、飛騨市宮川町(旧宮川村)は坂下村、坂上村に分かれていた。飛騨市古川町は古川町、小鷹利村、細江村に分かれていた。
東西南北の街道を見ると、赤色の太線で記されているのが、当時の主要路と考えられる。越中街道の東街道は今村峠越えが細い赤線で、太江から神原峠を越えて山田へ出るルートが太線に変わっている。西街道は江戸時代ルートを踏襲している。
荘川、白川村から清見へ通ずる峠越えの道は、白川村福島から東へ森茂を通って江黒へ通ずる道、また白川村荻町から牛首を通って河合の月ヶ瀬に至る道も細線で記入されている。
荘川村から一色集落を通り郡上へと通ずる道が記されているが、山中峠方面へと東方向に進んでいる。寺河戸から郡上への現在の道は記入されていない。
高山から清見村の三日町で左に折れて美並、郡上八幡へと進む郡上街道は太線である。
久々野村の小坊から有道、西洞へと通ずる道は細線で記される。江戸街道は太線ルートで、朝日町の見座へ下りてから甲、万石、上ヶ見、寺沢、浅井、寺附、中洞、中ノ宿、日影、上ヶ洞、阿多野、野麦峠となる。日和田、小日和田を通って、長峰峠への道は細い。
丹生川村は小八賀川と荒城川が東から西に流れ、川沿いの里道がある。坊方から小木曽(現在の丹生川町北方)、大萱、恵比須峠を越えて上宝村の在家へと道が記される。
上宝村の平湯からは安房峠を越える細線が記され、また双六川沿いに森茂へ通ずる道も記されている。
江戸時代の街道で記入されていない道もあるが、明治40年当時における郡・町・村境、主要集落、主要街道、地方道を知る上で貴重な地図である。