第95図 [目録] |
第20回国民体育大会は、昭和40年に岐阜県を中心に行なわれた。岐阜県では初めての国体で、県内各市町村の取り組みは熱烈であった。秋季大会が10月25~29日に行なわれ、高山市ではバレーボール、ハンドボールが会場となった。
また夏季大会は9月19~23日に行なわれ、上宝村(現高山市上宝町、奥飛騨温泉郷)が山岳種目の会場となった。
この地図はその際に使われた地図で、第20回国民体育大会山岳部門実行委員会(岐阜県山岳連盟)が監修し、発行は国体上宝村実行委員会による。図の右上に20万分の1縮尺の北アルプス飛騨側概念図があり、上宝村の範囲が白地になっている。
昭和40年当時の上宝村内における車道の状況、旅館名がわかる。また、岐阜県山岳連盟が監修しただけに、詳細な登山道、山小屋が赤色で記され、水場は青色で「水」と記される。
新穂高温泉東北の中崎山北側に「北電小屋」が、西穂平に「本州製紙飯場」の作業小屋があり、製紙用材の切り出し飯場があったことがわかる。また、笠ヶ岳へ登る道で、播隆上人が開いた笠谷からの道が、1,613メートルの独標まで記され、雷鳥尾根は未記入で、雷鳥岩の西側は少し記入されている。新穂高ロープウェイはまだできていない。ロープウェイの開通は昭和45年である。