村高は「元禄検地帳」では十六石余、「天保郷帳」「旧高旧領」では三十石余。『国中案内』によれば村高十六石余・家数三十一軒。『後風土記』によれば家数五十三軒・人数三百四十人。
産物は稗六十七石余・ソバ二十二石余・大豆七石余・小豆一石余・粟一石余・蕨粉十一石余・小白木六百束・檜皮・檜火縄七百五十把・蕨縄五百五十把・菅筵(すげむしろ)百五十枚・生馬四十五頭・熊二頭・熊肝二・猪十頭・山鳥二十二羽・雉子(きじ)十羽・岩魚三貫目。
村の東方は山、西方は御岳、南方は小日和田へ十二町、北方は阿多野郷で一里半、高山へは十二里、御岳の裾野の字池の原には雌池・雄池の二つの池があった。日和田の集落より一里半の所にある雌池は樹木も生い茂り、四月にはオシドリ・カモなどが到来し、名勝地として知られた。また雄池には霊が住んでいるとして村民たちに恐れられた。
明治のころまで当村と小日和田村では多くの馬が飼育され、毎年木曽福島の馬市に出されていた。馬の売買・取扱いをしていた「原家」は阿多野郷の大庄屋であった。(『岐阜県地名大辞典』)
1-1-(2)-5 日和田集落