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〈義仲寺〉(木曽郡木曽町福島門前町)

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 木曽に逃れてきた幼少の駒王丸は、中原兼遠の養育を受け、後に元服し木曽次郎源義仲と名乗った。一一八〇年に後白河法皇の皇子より平家追討の命を受け、木曽の地で旗挙げ。北陸の進撃を経て入京し、征夷大将軍に任ぜられたが後白河法皇の策略によって大聿市粟津ヶ原で義経に敗れて討死した。旧東海道沿いに墓所義仲寺がある。三十一歳の短い生涯であった。軍記物に便女(びんじょ)巴御前が登場する。

1-1-(2)-25 義仲寺