鎌倉時代には、千光寺門末の松生山来迎寺もこの地に建てられたという。しかし、それと了心寺との関係は、寺伝にもない。
当寺に伝わる本尊裏書(実如上人)によると、永正十五年(一五一八)照蓮寺門徒善宗下、平塚釈了善となっていて、開基年代を推定する一つの手がかりとなっている。善宗は、清見村楢谷寺の開基で、蓮如上人の高弟として知られている。
金森時代、天和四年(一六八四)照蓮門末として寺号を松生山了心寺と改めた。
貞享二年(一六八五)火災により本堂その他を全焼し、のち再建された。
※『飛騨の寺院』より
1-1-(3)-7 了心寺