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〈兜山・かぶとやま〉(朝日町甲)

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 永正の頃、東(或は東藤)相模守、甲斐守父子がこの山に城を築いて住んでいたが、同十六年、三木直頼のために落されたと伝え、山上には五~八×四〇間程の平地がある。その周囲を一段低く壕が囲んでいる。字前平といい、今は雑木林になっているが、眺望がよく、しかも前面は嶮岨で、堅固な城であったであろうと想像される。北麓に甲・小谷(こだに)の産土神白山神社がある。
 その昔東氏の遠祖上総介廣常が上総国一之宮へ甲を献納した故事にならい、相模守が氏神社へ甲を納めたことにより、甲の神社と称したのが遂に地名となったか(『斐太後風土記』)ともいっているが、この山の形がまた兜に似ている。

1-1-(3)-18 甲城