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〈上ヶ見城跡と和田氏〉(朝日町上ヶ見・あげみ)

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 上ヶ見地内にある諏訪地区の山上にあり、城跡と見るには余りにも狭いが、永享の頃(一四二九~)か阿多野蔵人がこの地に城を築いて住み、後青屋村和田の要害を見立て、新城を築いてそれに移った跡と伝えている。
 なお上ヶ見には和田姓を称する家が数戸ある。楠正成公の師として知られている大八賀・瀧出身の傑僧「瀧覺坊」は鎌倉幕府の待所別当、和田義盛の裔であるが、同族和田正純というものが、その昔瀧から上ヶ見に来て、諏訪平に屋舗を構え住んでいた。その後里に下って百姓となり、次々分家して数軒になったのだと伝え、明治のころ諏訪社のかたわらを開墾するまでは、古い屋舗の礎石らしいものがあったともいっている。

1-1-(3)-19 上ヶ見城