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〈中島城跡〉(朝日町黒川)

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 阿多野川と秋神川の合流地点で、字中島といい、現在水田になっているところ。群雄割拠のころ黒川越中守某が城を築いていたが、永正十六年(一五一九)三本直頼に敗れて信濃へ逃げ去った跡と伝えている。その対岸字志呂に俗称「オタチ」という所があって、越中守が陣立を行なったところと伝え、あるいは上木戸、下木戸という所もあって御館の跡かともいう。
 なお越中守は初め同区字ダンボ(段保あるいは壇峯)の山上に城を築いていたと伝えるも確かではなく、同山上には城跡と見られるような所はない。

1-1-(3)-21 中島城跡