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[小瀬ヶ洞(おぜがほら)、黍生谷(きびうだに)(朝日町小瀬ヶ洞、黍生谷)]

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 小瀬ヶ洞は『後風土記』によれば家数二十七軒、ソバ、ワラビ粉なども産出した。東方は中洞ヘ一里、西方は黒川ヘー里、高山へは五里半になる。道筋の権現峠(今は権現トンネル)からは乗鞍が見える。昭和二十六年、秋神ダム築造により水没した。
 黍生谷は『後風土記』によると家数八軒、ソバ、ワラビ粉、キジなども産出した。地名の由来は標高一三〇〇メートルの高所にあって、作物が生育しにくい中で黍だけが生い出たことによるという。昭和二十六年、秋神ダム築造により水没した。

1-1-(3)-23 黍牛谷