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[中之宿(高根町中之宿)]

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 『後風土記』によれば家数二十七軒、ワラビ粉、榑、山鳥、イワナなども産出した。中洞へは十八町、高山からは七里半であった。地名の由来は、江戸からの巡見使が一之宿の次に、当地に宿泊したことに由来するという。
 大原騒動の中の明和騒動で罪を得た中之宿村磯右衛門の故郷である。
 磯右衛門は上木甚兵衛らと共に安永四年(一七七五)に新島へ流され、在島二十一年、若郷で暮らし、寛政七年(一七九五)、五十五歳でその生涯を閉じている。
 中之宿の八幡神社には、磯右衛門が島から脱出して、絵を描いたとされる板絵が祀られている。

1-1-(3)-26 中之宿