この図は明治になってからの図と思われる。それによると、高山から野麦峠を越えて川浦、寄合渡までは江戸時代と同じ道程だが、筑摩県になってからの重要路線として入山から嶋々、松本へというルートが描かれている。また、高山から平湯、安房峠を経て大野川、クマノサワ、嶋々へとつながるルートも整備されたのであろう。しかし、岡谷への女工の道は、大正時代まで、相変わらず江戸街道を通行したのである。
1-1-(3)-30 「筑摩郡松本ヨリ飛騨国高山迄平湯通奈川通見取図」
(岐阜県歴史資料館・飛騨郡代高山陣屋文書1-40-2-5)