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〈川上肴万問屋と橋普請〉(布引橋は下二之町~大新町一丁目、錦橋は春日町)

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 川上家が、「肴万問屋」として、独占的に業務を取り扱えたのは、川上家の資金力の豊かさと、領主権力による保証であった。
 延享元年(一七四四)、古川町の商人が同町において魚その他の商品を扱う問屋開業の許可を求めて高山代官役所へ出願した。しかし川上家は、古川においてもそれらの商品取引を独占していた。そのため、新たに問屋冥加(特権のみかえり)として、魚取引の主要街道である越中街道と信州街道の往還の橋二カ所の普請を申し出て、引き続き独占営業を求める趣旨の出願を行なった。
 代官所はこれを認め、以後、二之町村の板橋(現在の布引橋)と一之町村の錦橋(現在の錦橋・現春日町の場所)の修理や架け替えは川上家が行なうようになった。

1-1-(4)-6 二之町板橋