(ア)大新町から北方面へほぼ直線に合崎橋方面へ進むルート
(イ)連合橋またはその上流で大新町商店街から現七日町方面へ渡り、桐生町万人講へと至るルート
(ウ)七日町を桐生方面へ直進する
以上3ルートがあった。
(イ)の連合橋は図のBで、Aは昭和三年当時にあった橋である。Aの橋は、勝久寺の前から西方向へ直線で渡り、七日町で折れて北進をする。Aの橋の両たもとには子安地蔵があり、七日町側の地蔵尊は現在の連合橋のたもとに移されたらしい。大新町側は、そのまま現存する。
1-1-(4)-8 不動橋と連合橋の間(昭和3年地図)