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〈新羅の僧 行心とナツメ〉

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※『ひだびとのあしあと』より

 行心は神仙思想に通じ、天文や占いなどさまざまな学問知識を持っていた。大津皇子に仕えていたが、朱鳥元年(六八六)、皇子が謀反の疑いで捕えられ憤死した時、処刑を免れて、飛騨の寺院へ配流された人物である。行心が流された寺はどこであったかは飛騨の古代史のなぞの一つである。
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 流罪の身でありながら、行心に対する制約は緩かったようである。高山市下切町の三枝(さいぐさ)神社は、行心の奉斎したものといわれている。また、飛騨の古代寺院の中には新羅系の瓦を出土した所があることなどからも、行心が飛騨の地で、大きな影響を与えていたようである。
 伝説であるが、この行心が飛騨へもたらした物の一つにナツメがある。
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 ナツメは中国からもたらされたという。中国の道教思想では、神仙界の不老長寿の食物として扱われている。神仙思想とともに、日本にもたらされたのであろう。清水眞一氏(奈良県桜井市市教委)の「なつめ考」によると、古代の遺跡からナツメの種子などが出土した例が幾つかある。藤原宮跡、平城宮跡、鴻臚(こうろ)館跡など、いずれも古代の宮殿や公的な施設からの出土である。

1-1-(5)-6 ナツメの木