正応三年(一二九〇)、本願寺三代覚如(かくにょ)の弟子の願智坊覚淳(がんちぼうかくじゅん)が美濃国各務郡平島村に聞名寺を創建し、その後は飛騨高原郷を中心に、飛騨吉城郡、大野郡、さらには美濃にまで勢カを伸ばした。やがて、勢力を拡大してきた聞名寺と、飛騨白川郷に勢力をもっていた照蓮寺(現高山別院)との間に摩擦が生まれるようになった。
応仁二年(一四六八)、聞名寺の五代覚玄は、照蓮寺との軋轢を避けて越中の婦負郡土村(現富山市大沢野町)に移った。その後、延徳四年(一四九二)に一旦、飛騨高原郷に戻った。大永四年(一五二四)、再び越中に戻り、野積谷乗嶺、田中保福島などを経て、天文二十年(一五五一)、聞名寺の六代覚照(かくしょう)が現在地に寺基を定めた。
飛騨・越中などの有力者との関係を示す古文書が多く残る。
1-1-(5)-17 聞名寺