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〈畑佐城(新宮町)〉

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1-1-(6)-6 畑佐城

 郡上街道沿いに、畑佐城跡がある。新宮町字狐洞に構えた中世の山城である。新宮神社裏手の山頂に立地し、上枝地区南半分、山田城を眺望できる見晴らしのよいところにある。地元では立壁(たちかべ)城とも呼称する。
 大手道が南西側から尾根を登り、途中山頂近くに二カ所の堀切・曲輪を認め、山頂の二ノ丸に至る。二ノ丸から北へ尾根上に本丸が広がり、北側外郭に半月状の曲輪、東側には腰曲輪などがみられる。
 本丸から北方山麓鬼ヶ洞へ下る道が搦手道と考えられる。搦手道途中に「首切り場」と呼ばれる平地があり、「山田紀伊守」一族の処刑場との伝承が残る。
 畑佐城跡は、中世の山城の性格を備えた城郭であり、遺構の遺存状態もよく、飛騨地方、高山市の中世史を考える上で重要な史跡である。また、地元新宮史跡保存会により大手、搦手道などが維持整備されている。