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[川上荘]

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 平安時代の中頃、飛騨国司は川上側流域の村々を長滝寺に寄進し、その地域は河川荘と呼ばれた。
 坂下、三ッ谷、福寄、藤瀬、三日町、牧ヶ洞、新宮、山田、八日町、赤保木あたりまであったと考えられる。
 河川荘は鎌倉、室町時代にかけて、ほとんど長滝寺の荘園として続いた。