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[「越前大野城から飛騨へ侵攻」]

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 天正十三年(一五八五)八月、秀吉は佐々成政を討とうと京都を出発するにあたり、長近には、飛騨の攻略を命じている。
 長近は、石徹白彦右衛門尉長澄を案内に、飛州浪人鍋山左近太夫(さこんだゆう)、江馬右馬允(うまのすけ)、牛丸又右衛門(またえもん)ら三千の軍をひきつれ、大野城をたち、石徹白村へ入り、石徹白杉の生い茂る白山中居神社へたどり着いた。
 長近らは、いったん休憩をとったあと、戦勝を祈願し、身をひきしめて、飛騨攻略の第一歩を踏みだした。作戦上、二手に別れることにし、本隊の長近軍、もう一手は養子可重(ありしげ)軍で、おのおのが白川郷をめざして、神社をあとにしている。
 飛騨攻略は、相手と場所により、さまざまの戦となり、その模様は、飛騨に伝わる史書・軍記などに収録されている。

1-1-(6)-21 中居神社