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[荘川の化石]

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 荘川町は日本有数の化石の産地として有名である。明治初期にドイツの学者が、白山から見つかった化石で地層を調べたのがはじまりで、日本の地質学者の間でも早くから知れわたり、極めて貴重な化石の宝庫とされていた。
 化石が発見される地域は、白山を中心とした岐阜・石川・富山・福井の四県にまたがって広がる「手取層群」の広大な地域で、昭和十五年の「地質学雑誌」に観察した主な事実が報告された。それによると「手取層群」は今からおよそ一億八千万年前のジュラ紀中期から、白亜紀の中頃の一億一千万年前にかけて堆積したもので、戦後間もない昭和二十四年、野々俣と牛丸それに尾上郷で、地質学者前田四郎(現千葉大学名誉教授)博士が、食べるものに事欠き、林道もない山の中を自分の足で野宿しながら、化石調査をしている。その結果は、「手取層群より」と題する論文として発表された。それが後に、化石発見の貴重な資料となって、先駆者前田四郎博士は、地質学会から尊敬されるようになった。

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