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〈日本の古代道路〉

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 日本の道路が国の制度の中にはっきり位置づけられたのは、大宝元年(七〇一)に制定された「大宝律令」という法律ができたときである。
 和銅三年(七〇一)都が平城京に遷都され、また律令の整備によって都を中心に全国を五畿と東海道・東山道・北陸道・山陰道・南海道(四国)・西海道(九州)逓の制が定められ、三十里「十六キロメートル」ごとに駅(小路・馬五疋)を設け、駅には駅戸・駅田・駅長・駅子(役人)を置き官道としている。