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〈東山道〉

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 東山道は七道の一つで、文武天皇のころ(在位六九七~七〇七)には近江・美濃・飛騨・信濃・武蔵・上野・下野・陸奥の八カ国であったが、和銅五年(七一二)に出羽が加えられ、宝亀二年(七七一)に武蔵が除かれた。(『角川日本史辞典』より)「東山道飛騨支路」は美濃の方県(かたがた)駅で、「東山道」から分かれて飛騨支路になる。北へ進み現在の上呂駅から、あさん川(あさんず)橋(旧朝水橋)を渡り、尾崎、黍生峠、和田、山之口、位山峠、無数河、段、苅安峠、坂下、渡瀬、水無神社、そして宮川を渡り大憧寺の裏山を通り、飛騨国府に至る。「位山街道」は一之宮から上呂あたりまでをいい、延長約二十八キロメートルになる。
 国司をはじめ政府の役人、都へ徴用された多くの飛騨の匠たちがこの位山官道を通り、都と飛騨を行き来した。今も所々に残っている石畳の街道は、都から飛騨へと文化を伝え飛騨の文化を育み育てた道である。

1-1-(7)-11 七道の図