1-1-(9)-13 荒川家(丹生川町大谷)
この平湯街道沿いの大谷集落に、国指定重要文化財の名建築旧荒川家住宅がある。大谷という所は戦国時代から戦略上の重要な場所で、「森ヶ城」という戦国時代の山城が大谷にある。また、朝日、岩井町方面から信州方面への道筋上にあって、重要拠点に荒川氏が配置されたのであろう。
荒川家は四百年前に金森氏が国主になった頃から肝煎を務め、元禄時代(幕府直轄地時代)には大谷、小野、根方、白井、芦谷、板殿の六カ村兼帯名主を務めていた。
間口十一間、梁間八間半の大型農家で、寛政八年(一七九六)建の棟札が残る。裏手にある土蔵も古く、延享四年(一七四七)の普請帳が伝わっている。内部の間取りは四ツ出居が一段高く造られ、慶弔行事、村方寄り合いに都合がよい大広間として利用された。気持のよい巨大空間の贅沢な大広間である。
農家なので向かって左手に馬屋がある。二階はイロリの煙が上がりやすいスノコ天井で、広大な養蚕作業場が確保されている。
建物の外観は板葺きで質素に見えるが、内部は良材を駆使して飛騨の匠の高度な技術で造作をしている。玄関を入って右手にオエというアガリタテがあるが、上を見ると巨大な「ウシバリ」という構造材が架かっている。この梁が荒川家の見所である。長さが四間で、この寸法の間に柱が無いために建具が四間幅で取り外すことが出来る。