1-1-(9)-15 田上家
※『ひだびとのあしあと』より
この本座敷は、農家建築の枠を超えている。床の間の壁は、正統な書院造りの上段の間でしか見られないような張付壁(はりつけかべ)で、江戸時代は禁制であった。
この建物は、明治十二(一八七九)年に高山の町家日下部家(くさかべけ)(国重要文化財)の建設を終えた名工川尻治助が、三代田上太郎四郎の依頼によって建てたものである。今も残る板絵図の裏に、建設は「明治十五年一月二日始」とある。完成までには、十二年の年月を要している。何とも気の長い話である。
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田上家は完成から百十数年が経過しているにもかかわらず、隅々に至るまで狂いがない。特に継ぎ目を隠して、一本の材のように見せる技法を使ったひさしの横木部分は、今もなお隙間を見せず、訪れる現代の大工たちを驚嘆させるという。治助の「技」は百年の時間が証明している。
名工とうたわれた川尻治助に、十二年間心ゆくまで仕事をすることを許したのは、施主三代目田上太郎四郎である。いまも女中部屋や使用人の部屋が残っていることから地主といっていいであろう。- 中略 -
棟梁川尻治助の心意気と農民田上太郎四郎の心意気、田上家は二人の飛騨人の生きざまを物語っている。