江戸時代の国絵図が近代の地図に移り変る中で、明治末から大正時代にかけて発行された五万分の一地形図は、江戸時代末の街道ルートを知る上で非常に有用である。これは「大日本帝国陸地測量部」が明治中頃年から戦前年にかけて、日本全国を測量、作図したもので、正確な地形図である。国道、県道、町村道、小径、荷車道、在所が記され、そこから得られる情報は非常に多い。
そこで、本高山市史「街道編」では、四百年続いた江戸時代の街道を推定するため、この明治末~大正時代(一部が昭和に改定されている)における地図を活用することとした。本地図上の国道、県道、過去の調査で江戸時代の古道と推定されている小径などに赤の色を付け、ルートがわかりやすいように、そして情報が得られやすいよう作図をした。口留番所を通る街道筋を赤色の線とし、集落間の村道等は橙色としている。また在所は緑色、峠は紫色、山岳は黄色、川、沼は水色の色を付け、見やすくした。
飛騨地域では明治四十三年の測量図が一番古く、大正時代初頭のもの、昭和初期に修正したものが手に入ったので、それを四~六枚接合し、容易に印刷ができるサイズ(A1・五九.四×八四.一センチメートル、B1・七二.八×一〇三センチメートル)に合わせた。
第二章では、第一章に記述した東西南北方向の各街道に合わせて、地形図の解説をした。江戸時代の街道は、平坦部で近代の道路と重なる。しかし、峠越え、山中の道は四輪の馬車や自動車が通れないため新設の道となっている。山中の街道推定ルートは点線になっており、その部分も赤線を付した。平坦地では明治末から大正時代にかけて馬車道として道路拡幅、または新設されて道路整備が進み「」の表示になっている。
江戸時代の街道に沿う国道、県道、町村道に赤色を付したが、実際の江戸時代の街道ルートは、現地調査を行なえば相違が生じるかも知れない。この章では明治末から大正時代にかけての地図上では、どのように江戸時代の街道を引き継いでいるのかを明らかにした。今後、街道の詳細ルートが地元識者の聞き取り、現地調査によって明らかにされてゆくことを期待する。