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第四節 郡上・白川街道

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郡上・白川街道ルート図(別図有)国土地理院長承認 平26部複、第72号
2-4-1 郡上・白川街道ルート図(別図有)国土地理院長承認 平26部複、第72号


(1)はじめに
 郡上・白川街道は高山から西へ進み、郡上あるいは白川郷方面に至る街道である。郡上方面へは清見町三日町で分かれて大原(おっぱら)、口明方(くちみょうがた)経由の道と、荘川町牧戸で分かれて白鳥(しろとり)経由の道がある。
 
(2)高山~三日町~口明方
 高山から新宮を経て三日町で南に折れ、福寄、有巣(あっそ)峠巣野俣(すのまた)、二俣(ふたまた)に至る。二俣から中野、龍ヶ峰、楢谷(ならだに)までは「地図表示」(黄色)の小径の表示で、こちらが江戸時代の古街道かとも思われる。
 二俣から麦島を経て楢谷に至る道は馬瀬川に沿い、県道になっている。楢谷で合流した道は大原坂本峠畑佐、口明方に至る。馬瀬川は大原で東に曲がり、馬瀬方面へ流れる。「地図表示」表示の里道になっている。
 こちらのルートからは西北方向に牧戸ルートへの接続小径が六本ある。(黄色)

2-4-2 口明方

(3)三日町~三尾河
 牧ヶ洞、三尾、小鳥峠、夏厩(なつまや)上小鳥松木峠、六厩(むまや)軽岡峠、三尾河に至る。三尾河の手前では東方の庄川沿いに麦島に至る。
 
(4)三尾郷~牧戸~穴洞
 黒谷で寺河戸(てらこうど)、山中峠郡上の坂本に至る。現在、山中峠を降りてしばらくすると明宝スキー場がある。
 惣則(そうのり)からは鷲見(わしみ)に至る里道がある。
 新淵からは町屋、野々俣(口留番所)、鷲見に至る。この道は江戸時代の主要街道で、鷲見から穴洞歩岐島、白鳥へと江戸時代の街道となる。
 牧戸からは野々俣へと通じ、鷲見方面(里道表示)、蛭野(ひるがの)方面(県道表示)へと分かれる。
 江戸時代の街道は鷲見方面となるが、詳細ルートについてはもう少し北側のルートが『歴史の道調査報告書白川街道』では表示されている。

2-4-3 山中峠(水バショウ群生地)

(5)穴洞~白鳥~八幡
 穴洞から歩岐島、白鳥、八幡へのルートは江戸時代の街道である。
 歩岐島で西北に折れると(黄色)石徹白(いとしろ)、中居(ちゅうきょ)神社に至る。
 金森氏の飛騨攻めは、中居神社で戦勝祈願をした後、金森長近本隊は、別山の尾根を越えて尾上郷に入り、牧戸(向牧戸城)へと攻め入った。向牧戸城を落としてから、北飛騨を攻める際、牧戸から中野海上、秋町への北へ戻って、そこから森茂、森茂峠(2‐3‐1別図・越中街道参照)、小島川、稲越、小鷹利城、小鳥城、古川城へと進み、高堂城(高山市国府町)を目指している。本隊から分かれた、養子の可重隊は南方向のルートをたどり、萩原へと向かった。
 白鳥から西に折れると越前大野に至る。

2-4-4 中居神社