(1)はじめに
郡上・白川街道は高山から西へ進み、郡上あるいは白川郷方面に至る街道である。郡上方面へは清見町三日町で分かれて大原(おっぱら)、口明方(くちみょうがた)経由の道と、荘川町牧戸で分かれて白鳥(しろとり)経由の道がある。
(2)高山~三日町~口明方
高山から新宮を経て三日町で南に折れ、福寄、有巣(あっそ)峠、巣野俣(すのまた)、二俣(ふたまた)に至る。二俣から中野、龍ヶ峰、楢谷(ならだに)までは「」(黄色)の小径の表示で、こちらが江戸時代の古街道かとも思われる。
二俣から麦島を経て楢谷に至る道は馬瀬川に沿い、県道になっている。楢谷で合流した道は大原、坂本峠、畑佐、口明方に至る。馬瀬川は大原で東に曲がり、馬瀬方面へ流れる。「」表示の里道になっている。
こちらのルートからは西北方向に牧戸ルートへの接続小径が六本ある。(黄色)
2-4-2 口明方
(3)三日町~三尾河
牧ヶ洞、三尾、小鳥峠、夏厩(なつまや)、上小鳥、松木峠、六厩(むまや)、軽岡峠、三尾河に至る。三尾河の手前では東方の庄川沿いに麦島に至る。
(4)三尾郷~牧戸~穴洞
黒谷で寺河戸(てらこうど)、山中峠、郡上の坂本に至る。現在、山中峠を降りてしばらくすると明宝スキー場がある。
惣則(そうのり)からは鷲見(わしみ)に至る里道がある。
新淵からは町屋、野々俣(口留番所)、鷲見に至る。この道は江戸時代の主要街道で、鷲見から穴洞、歩岐島、白鳥へと江戸時代の街道となる。
牧戸からは野々俣へと通じ、鷲見方面(里道表示)、蛭野(ひるがの)方面(県道表示)へと分かれる。
江戸時代の街道は鷲見方面となるが、詳細ルートについてはもう少し北側のルートが『歴史の道調査報告書白川街道』では表示されている。
2-4-3 山中峠(水バショウ群生地)
(5)穴洞~白鳥~八幡
穴洞から歩岐島、白鳥、八幡へのルートは江戸時代の街道である。
歩岐島で西北に折れると(黄色)石徹白(いとしろ)、中居(ちゅうきょ)神社に至る。
金森氏の飛騨攻めは、中居神社で戦勝祈願をした後、金森長近本隊は、別山の尾根を越えて尾上郷に入り、牧戸(向牧戸城)へと攻め入った。向牧戸城を落としてから、北飛騨を攻める際、牧戸から中野、海上、秋町への北へ戻って、そこから森茂、森茂峠(2‐3‐1別図・越中街道参照)、小島川、稲越、小鷹利城、小鳥城、古川城へと進み、高堂城(高山市国府町)を目指している。本隊から分かれた、養子の可重隊は南方向のルートをたどり、萩原へと向かった。
白鳥から西に折れると越前大野に至る。
2-4-4 中居神社