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第六節 尾張・益田街道、東山道飛騨支路

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尾張・益田街道、東山道飛騨支路ルート図 その1(別図有)国土地理院長承認 平26部複、第72号
2-6-1 尾張・益田街道、東山道飛騨支路ルート図 その1(別図有)
国土地理院長承認 平26部複、第72号


尾張・益田街道、東山道飛騨支路ルート図 その2(別図有)国土地理院長承認 平26部複、第72号
2-6-2 尾張・益田街道、東山道飛騨支路ルート図 その2(別図有)
国土地理院長承認 平26部複、第72号


(1)はじめに
 高山から南へ向う街道は、小坂、下呂、川辺を通って尾張に至る「尾張・益田街道(京都)」と、奈良時代からの「東山道(とうさんどう)飛騨支路」がある。前者は十六世紀末に飛騨国主となった金森氏が整備した街道で、後者は東山道を美濃から分かれて飛騨へと向かう古代の官道である。一之宮町から苅安峠を越えて「段」までは「位山道」と呼称されている。
 
(2)尾張・益田街道 その1  高山~宮~小坂~上呂
 高山から宮峠(分水嶺)を越えて無数河(むすごう・現高山市久々野町)、引下(ひきさげ)木賊洞(とくさぼら)、大坊、栃洞門坂(かどさか)、小坂(おさか)に至る。
 宮峠南側で山梨、大西につながる道がある。無数河でも大西につながる。小坊(こぼう)、大坊(おおぼう)からは口有道(くちうとう)を経て万石(まんごく)に至る。また、口有道からは中久峠を越えて有道(奥有道)、西洞、下桑之島、中之宿に至る道もある。
 栃洞からは阿多粕(あたがす)の口留番所を経て細尾峠、西洞へと至る重要な道もある。
 
(3)尾張・益田街道 その1  小坂~中呂
 上呂では東山道飛騨支路(位山道)と合流して、益田川沿いに南下する。本地図では、益田川沿いには、運材の管理用道路として両岸に広い道が見られるが、上呂から下呂までは近代において道路整備が早期に進んでいた(赤線)。
 
(4)東山道飛騨支路 その1  (位山道) 宮~上呂
 東山道飛騨支路については第一章第一節(7)・(六九頁)に詳細を記している。高山から宮へは、石浦から山に入って臥龍桜の前に出る山道が古道だが、本地図では現在の国道41号ルートが県道となっている。宮の本通から斜めに水田地帯を渡って日影に至る道があるが、現在は土地改良によりこの道はない。寺組に至る道は現在も拡幅されて残る。苅安峠を越えると段(だん)組に至るが、西側の古道が点線で表わされている。近年、遊歩道として整備された。
 無数河、位山峠を経て、山之口村(現下呂市萩原町)カジヤに出、山之口川沿いに南下して四美、橋場に至る。橋を渡ると上呂に至る。上呂が飛騨支路の駅である「上留」に比定されている。
 山之口村の上之田から西に山道を行くと小原、大原に出ることもできる。
 
(5)尾張・益田街道 その2  東上田~森~保井戸~焼石~金山
 益田川沿いに、金森氏の整備した街道が続く。現在の国道41号沿いで、高山線も対岸を走っている。川沿いの平坦な道であるが、急峻な山が両側から迫っている。
 下呂、小川、大洞保井戸、焼石下原、金山町へと在所が続く。
 
(6)尾張・益田街道 その2  金山~下油井~下麻生
 金山からは、益田川(ましたがわ)が飛騨川になっている。現在は、益田川は飛騨川に名称変更された。しかし、地元では益田川として今も通じる。
 
(7)東山道飛騨支路 その2  森~小川~初谷~宮地~福来~中津原~金山
 飛騨支路は上呂から益田川の左岸を行き、森、小川に至って、小川の解脱(げだつ)観音のところで東方の山道に進む。
 石畳の初谷峠を越えて宮地に至り、竹原峠、下夏焼久野川峠、久野川、和佐に至る。飛騨支路は和佐から奥洞に向かって直線で進むと思われる。地図上では点線で表わされている。火打峠越えの道は「地図表示」で表記されている。奥洞で合流して福来、中津原、下原村へと進んで金山町に至る。
 福来には「口留番所」があり、福来口、中切には「下原中綱場」があった。
 
(8)東山道飛騨支路 その2  金山~下之保
 飛騨支路は、福来から中切、田淵、坂梨、小麦田、貝洞、笹洞、前山、黒川、袋坂のルート(黄色の線)が提唱されている。(『地図で見る 東日本の古代 律令制下の陸海交通・条里・史跡』二〇一二年 株式会社 平凡社発行)
 美濃町、関方面は金山から長洞峠、神田、袋坂に進む(赤色の線)。金山から南へ井尻まで進み、大谷戸(おおがいと)、高屋を経由して神田に至る道(赤色の線)もある。明治末~昭和初期の道路はこの赤線の道路が主流であった。
 袋坂からは西方向へ分かれると上之保武儀倉、小宮、関に至るが、袋坂から南西方向に分かれると袋坂峠、神淵(かぶち)、寺田、小宮へと進む。両方とも、美濃町へと整備された道である。
 袋坂からの飛騨支路(赤線、上中切からは黄線)は、袋坂峠、杉洞、上中切追分、下中切、大塚間見、治田洞日西洞、牛牧、加治田村(以下地図外)、関、小屋名、千疋、古市場、太郎丸、高富、天王に至り、天王で南方向に進んで天神で東山道の本道と合流する。(「『地図で見る 東日本の古代 律令制下の陸海交通・条里・史跡』二〇一二年 株式会社 平凡社発行」より)
 また、「『地図で見る 東日本の古代 律令制下の陸海交通・条里・史跡』二〇一二年 株式会社 平凡社発行」によると、飛騨支路は下中切から南下して中麻生に至る道も考えられており、中川辺、蟻屋を通って富田村で牛牧ルートと合流するとされている。さらに、駅として「菅田駅」は「神田」、「武儀駅」は上中切、「加茂駅」は「加治田村栃洞」、または「富田村瀧田」の西側と推定している。
 金山から関までの飛騨支路ルートについては、検討すべきところが多い。前述した袋坂から津保川沿いの上之保ルート、袋坂から袋坂峠越えして北篠坂、寺田、小宮、富岡村、関ルートも飛騨支路として考慮する必要があろう。

2-6-3 袋坂の分岐地点地図