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(3)飛騨国周囲の各国道程図

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 年代 江戸時代(幕府直轄地時代)
 寸法 四二・六×三〇(北を上にして)センチメートル
 所蔵 個人
3-1-(3)-1 飛騨国周囲の各国道程図(大野郡)
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*画像は原図と読み下し文を挿入した絵図の並べ重ねができます


 3-1-(3)-1図は、飛騨の国から隣国へ通ずる、主要街道の行先を図示した絵図で、図上に読み下し文を挿入した。周辺の国の主要城郭都市が四角で囲われ、領主の氏名と石高が記される。『飛州志』三〇四頁に、似た絵図があるが、この図は記入されている情報量が多い。
 越中街道は小豆沢口まで(越中東街道)十二里、そこから富山までは十二里で、富山藩主は松平出雲守となっている。
 江戸街道は上ケ洞まで九里、そこから高遠までは三十里半、藩主は内藤大和守、上ケ洞から松本までは二十二里、藩主は松平丹羽守、松本から上田へは六里で藩主は松平伊賀守となる。
 尾張・益田街道は御厩野(みまいの)口まで十六里、そこから飯田までは二十三里で、藩主は堀大和守である。また、御厩野口から苗木へは八里、藩主は遠山出羽守、そこから岩村へは五里で、藩主は松平能登守である。また、高山から下原口までは十九里、そこから加納までは十四里、加納から大垣へは五里である。大垣藩主は戸田采女正である。
 郡上方面は大原(おっぱら)まで十里、さらに郡上へは八里、郡上藩主は青山大蔵小輔である。また、野々俣までは十二里、そこから越前大野まで二十一里、藩主は土井能登守、大野から福井へは九里、藩主は松平越前守である。
 金沢方面へは、どのルートを通るのかわからないが、小白川口まで二十三里、そこから金沢へは八里、藩主は松平加賀守とある。加賀の石高は百二万二千七百石である。
 この図は写しであろうが、一番元の絵図がどこにあるかはわからない。周辺国の城下町を意識した図で、そこまでの里程が概数で記されている。図の中央の高山を四角で囲み、古城跡、陣屋と書かれている。
 東西南北に街道を発達させていた飛騨国の様子がよくわかる図で、周辺諸藩のことを気にかけていたことがわかる。