年代 | 天保九年(一八三八)、紅葉山文庫旧蔵本 |
寸法 | 原本四八五×三八三センチメートル 原本は東京国立公文書館にあり、閲覧、複写は四×五ポジによった。 四×五ポジで十二枚に分割撮影されている。 |
所蔵 | 国立公文書館(148‐特083‐0001) |
この絵図は紅葉山文庫(もみじやまぶんこ・幕府の将軍のための文庫)の旧蔵で、現在、国立公文書館に所蔵される。飛騨国絵図の原図は一枚で、縦四八五×横三八三センチメートル(年代、寸法は「国絵図研究会編『国絵図の世界』 柏書房二〇〇五年」の三七五頁 国絵図所在一覧表による。)と大きい。
天保時代に全国諸藩が、幕府へ提出したものの内、飛騨国の絵図である。街道、河川、在所、隣国各地への里程が詳細に記してある。
大野郡、吉城郡、益田郡の表示があり、それぞれの郡界は黒色の太線で記される。端書には次のとおり書かれている。
飛騨国高村数並郡色分目録
黄色 大野郡 高弐万弐千七拾七石八斗壱升四合
百三十六箇村
茶色 吉城郡 高弐万四千三百弐拾六石五斗九升八合
百七拾八箇村
薄紫色 益田郡 高壱万百九拾七石八斗九升七合
百箇村
高都合五万六千六百弐石三斗九合
村数 四百拾四箇村
天保九年戊戊五月 明楽飛騨守
田口五郎左衛門 大沢 主馬
絵図には神社、寺の姿図が描かれ、口留番所の姿図もあるが、ポジ版の拡大のため鮮明な姿はわからない。高山では、一之町村、二之町村、三之町村に分けて表示され、八幡宮、日枝神社、照蓮寺の記載がある。
幕府の必要な情報としては、街道と村落、河川、寺社、口留番所、隣国への道筋と里程、山岳であったことがわかる。天保時代における在所の名称、主要街道がわかる好資料である。
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3-1-(4)-1 | 3-1-(4)-2 |
3-1-(4)-1は一~三之町村周辺である。
3-1-(4)-2は越中東街道の谷村周辺である。谷村~蟹寺と中山村に籠の渡しが描かれる。口留番所は茂住村の北と杉山村の北に描かれる。
3-1-(4)-3は宮村で刈安峠に向かう道(位山道・東山道飛騨支路)である。
3-1-(4)-4は位山道から南下して山之口村、尾崎村に至る道で、尾崎村と上呂村が橋でつながっているが、絵図上では記されていない。
3-1-(4)-5は下呂の小川で東進し、乗政村を経由して金山に至る道である。東へそのまま進むと加子母に至る。
3-1-(4)-6は現在の金山町周辺である。渡村、下原町村、中切村、三ッ渕村、福来村、中津原村、大船渡村の村名が見える。福来村の東には口留番所建物、西には八幡宮が記される。
3-1-(4)-7は荘川町の猿丸村から町屋村、野々俣の口留番所を経て鷲見(わしみ・郡上市高鷲町鷲見)に至る道が記される。
3-1-(4)-8は江戸街道の上ケ洞~野麦峠の部分である。上ケ洞に口留番所の建物が見える。その先は阿多野郷村、野麦村、野麦峠と続く。