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[文化八年(一八一一) 中橋・鍛冶橋普請御用留 続き]

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 岐阜県歴史資料館・飛騨郡代高山陣屋文書1‐40‐56‐3

3-2-(3)-1 千光寺境内根伐り人足

   千光寺境内根伐り松木高山町引取り
   入足助梶取人足仕出し
 
    四日分  弐組
一 人足三拾四人
    廿 人   下林村
    拾四人   山田村
 
    五日分  同断
一 人足三拾四人
    拾 人   山田村
    拾五人   新宮村
    九 人   下ノ切村
 
    六日分  三組
一 人足六拾八人
     内
    四 人   新宮村
    拾六人   八日町村
    拾壱人   三ヶ町村
    拾九人   牧ヶ洞村
    拾三人   藤瀬村
    五 人   福寄村
          高当り分遠方ニ付き減
 
   〆
 
 右は中橋御普請ニ付き、入用木三福寺村地内字上野より引取り
 人足の節、元方へ諮(はか)り差向け候間、則ち切口割の通り手馴れ候
 人足相撰び、名主附添ひ、暁七ッ半時、右場所へ向け差出すべ
 く候。尤も、賃銭の儀は追って沙汰有るべき条、其の意を得(う)べ
 く候。此の廻状受印令(せ)しめ、早々相廻し、留村より返すべきも
 の也。
   未
    十一月二日
 其の処山内ニ於(お)いて根伐り申し候中橋御普請木山出し方入用ニ
 付き、差遣はし置き候荢綱(おづな)急ニ入用ニ候間、明三日朝四ッ時分
 迄遅滞無く差遣(さしつかわ)すべく候。
一兼(かね)て木取り申渡し置き候橋板長弐間の分出来合ひだけ残らず一
 両日中差出すべく候。勿論残り候分も成丈ヶ(なるだけ)出精いたし、木取
 り出来次第差送り申すべき者也。延引ニおゐては、差支(さしつか)えニ成
 るべき条、心得違ひ致す間敷(まじ)きもの也。
   未十一月二日            宮村
                        名主
                        組頭
 (註)この部分は、御役所の工事担当役人から、橋板の木取りを任されている宮村の
 名主・組頭あてに出された、製品出しの督促状の写しである。
 
一 人足百五拾七人
     冬頭始め上り通り 西ノ一色迄
 右は昨朔日(ついたち)迄ニとのニ付き、触人足差遣(さしつかわ)
 し申すべき間、上触れ差出し候処、出し方丸一日滞り候ニ付き、
 明三日出人足猪又の通り触れ出し候。尤も文書、例の通
 り也。
                    早出
   十一月三日 晴             斉藤弥右衛門
 
一中橋御普請木、千光寺より高山町へ引取り候ニ付き、桐生村役
 人より敷木(しきぎ)の義願ひ出候間、新張村御林木の内より根伐り相渡
 し候様、其の村役人・山見宛の免状、桐生村名主へ相渡し遣す。
                   早出
   同 四日 晴              田近孫蔵
 
一千光寺境内ニて根伐り致し候木品、三福寺村の内字上野より高
 山町一統ニて引取り候後、則ち高山町七組ニ割合ひ、其の組木
 数五本ヅ々、今日より明後六日迄ニ引取り申すべく、右附添と
 して(人名)・奥田文右衛門・大池織右衛門、今日出役。
 当榑木出し方延引差支(えんいんさしつか)え相成り候ニ付きこれ有る問、
 明五日五ッ時迄、遅滞無く罷り出るべく候。不在ニ於(お)いては、
 急度申付け候条、其の意を得べきもの也。
   十一月四日  御普請所
                    宮村
                       名主
                       与頭
   同 五日 晴 朝雨
                   早出
                       上村善助
 
一千光寺境内山樽木
 附添として出役               斉藤弥右衛門
                       指田要蔵
                       田中唯右衛門
                       庄村岡右衛門
 
一大樽木、兼て組うけの通り郷組仕組共
 午ノ中刻滞り無く着木いたし候事。
                   早出
   同 六日 小雪             斉藤弥右衛門
一下保村千光寺境内ニおゐて根伐り桁木、其の外樽木、千秋万歳、
 日出度御普請小屋場所至着の事。
一右置き込み方諸締り附添ひとして出役
                       早川市左衛門
                       小榑大助
                       長瀬六郎
                       玉井兵左衛門
                       岩水栄蔵
 
                    宮村名主
                       新六
 右のもの儀ハ、糺明の儀これ有るニ付き、御吟味中宿預り仰せ
 付けられ候間、慎み置かせ申すべしと仰せ渡され、畏み奉り候。
                     川原町
                      宿
                       源右衛門 印
 
   未
    十一月六日
 
一千光寺境内木皆着し、御附添として同寺住僧、御普請小屋場所
 へ罷り出候事。
                   早出
  同 七日 晴               上村翁助
                   早出
  同 八日 晴               田近孫蔵
                   早出
  同 九日 雪               上村翁助
                   早出
  同 十日 晴               早川市左衛門
                   早出
  同十一日 晴               斉藤弥右衛門
                   早出
  同十二日 晴               田近孫蔵
                   早出
  同十三日 晴               上村翁助
 
相尋ねる条これ有り候間、明十四日遅滞無く罷り出るべきもの也。
  高山
    御普請所
                   新宮村
                       名主
 
                   早出
  同十四日 雪               早川市左衛門
                   早出
  同十五日 晴               斉藤弥右衛門
                   早出
  同十六日 晴               田近孫蔵
                   早出
  同十七日 雪               上村翁助
 
一宮村山内中橋御普請木根伐り方取締りとして、田近孫蔵出役。
                   早出
  同十八日                 早川市左衛門
                   早出
  同十九日                 斉藤弥右衛門
                   早出
  同 廿日                 田近孫蔵
       朝雪          早出
  同廿一日 夕晴              上村翁助
 
 此の度中橋普請木数見立て、此の者共差出し候間、山見案内致
 し、差出す様取計ふべきもの也。
                  高山
   未十一月廿一日          御普請所
                         久々野組
                         大西組
                   早出
   同廿二日 晴              斉藤弥右衛門
                   早出
   同廿三日 晴              田近孫蔵
        朝雪         早出
   同廿四日 曇              上村翁助
                   早出
   同廿五日                早川市左衛門
                   早出
   同廿六日 晴              斉藤弥右衛門
                   早出
   同廿七日 晴              田近孫蔵
 
一早川市左衛門・上村翁助今朝高山出立、夫々ニ立出致し候事。
   同廿八日 晴              記載なし
                   早出
   同廿九日 晴              斉藤弥右衛門
                   早出
  十二月朔日 晴              田近孫蔵
                   早出
   同 二日 晴              斉藤弥右衛門
                   早出
   同 三日 同              田近孫蔵
                   早出
   同 四日 同              斉藤弥右衛門
                   早出
   同 五日 雪              田近孫蔵
                   早出
   同 六日 晴              斉藤弥右衛門
 
一吉田村手伝人足弐人差出し候事
   同 七日 晴              田近孫蔵
                   早出
   同 八日 晴              斉藤弥右衛門
 中橋普請入用木、其村ニて根伐り致し候分、早々差越し申すべ
 く、此の書付相廻すべきもの也。
                中橋
   未十二月八日         御普請所
                       宮村
                          名 主
                          組 頭
                          世話人
 
                   早出
   同 九日 晴              田近孫蔵
 
一升形岩切、昨八日迄ニ出来候旨、与頭福嶋屋宇兵衛届出の事。
                   早出
   同 十日 晴              斉藤弥右衛門
 
一御郡代様中橋より升形岩場所見分御案内致し、斉藤・田近・早
 川並びニ肝煎五人召され候。
                   早出
   同十一日                田近孫蔵
 
一鍛冶橋両詰面枠、今朝迄出来ニ付き、普請小屋取払ひ申すべき
 旨、右掛り作蔵申し出候事。
   同十二日 晴              斉藤弥右衛門
   同十三日 晴              田近孫蔵
 
  覚
一檜
 ひば 長三間 六寸角以上  四間分
    是れハ橋板ニ用ひ候分
一同 長さ九尺 巾六寸以上  八間分
        厚さ三寸
    是れハ右同断
 
 右は中橋普請入用木品承り取立て、来ル正月廿日頃高山着致さ
せ申すべく候。尤も、取立ての節、山内不届の儀これ無き様、山
見名主度々見廻り、急度締り致すべく候。此の書付請印令(せ)しめ、
相返すべきもの也。
                  中橋
   未十二月十三日          御普請所
                       宮村山見
                          名主
                          与頭