しかし、三十一箇所の口留番所は、江戸時代二七〇年間を通してそのまま存続したわけではない。
名称の変更や建物の位置の移動は別として、寛政二年(一七九〇)八月、明和・安永・天明と続いた大原騒動後の政治改革に合わせて、郡代飯塚常之丞は幕府勘定所の許可を得て、中関など十四の口留番所を廃止した。
その時残された十七の口留番所(国境要関一覧に◎印にて示す)はそのまま明治四年(一八七一)まで続いた。
岐阜県歴史資料館が保有する各口留番所の口役銀取立帳などの資料により、各街道を通過した諸物資の状況を以下に記する。
※金森長近は、国内の交通体制を樹立し、軍事上にも、治安上にもそれを生かし、物資の移出入のチェック、関税収入をあげる目的のため飛騨国内の街道を調査し、整理統合して、国境に三十一カ所の関を定めている。
金森長近による国境要関一覧(①~31は『金森史』一二一頁より)
(5-1-2図掲載の番所位置番号) (関名) | (掲載文) | (所在―現在地名) | (通関国名) | ||
◎ | ① | 下原口(しもはらぐち) | (1)(2) | 下呂市金山町下原 | 美濃金山町 |
◎ | ② | 大舟渡口(おおふなどぐち) | 下呂市金山町金山 | 美濃田島町 | |
(福来口) | (3) | ||||
◎ | ③ | 門和佐口(かどわさぐち) | 下呂市下呂町門和佐 | 美濃佐見町 | |
◎ | ④ | 上馬瀬口(かみまぜぐち) | (4) | 下呂市馬瀬町中切 | 美濃小川村 |
◎ | ⑤ | 下馬瀬口(しもまぜぐち) | 下呂市馬瀬町西村 | 美濃弓懸村 | |
◎ | ⑥ | 上ヶ洞口(かみがほらぐち) | (5)~(7) | 高山市高根町上ヶ洞 | 信濃川浦村 |
◎ | ⑦ | 御厩野口(みまいのぐち) | (8)(9) | 下呂市下呂町御厩野 | 美濃水郷村 |
⑧ | 門原口(かどはらぐち) | 下呂市下呂町門原 | 美濃岩谷村 | ||
⑨ | 大渕口(おおぶちぐち) | 下呂市下呂町大渕 | (中関) | ||
◎ | ⑩ | 大原口(おっぱらぐち) | (10) | 高山市清見町大原 | 美濃坂本村 |
◎ | ⑪ | 寺河戸口(てらこうどぐち) | (11)~(15) | 高山市荘川町寺河戸 | 美濃霞村 |
◎ | ⑫ | 野々俣口(ののまたぐち) | (16) | 高山市荘川町野々俣 | 美濃鷲見村 |
◎ | ⑬ | 牛首口(うしくびぐち) | 大野郡白川村牛首 | 越中大勘定村 | |
◎ | ⑭ | 小白川口(こじらかわぐち) | (17)(18) | 大野郡白川村小白川 | 越中赤尾村 |
⑮ | 椿原口(つばきはらぐち) | 大野郡白川村椿原 | (中関) | ||
◎ | ⑯ | 羽根口(はねぐち) | 飛騨市河合町羽根 | 越中水無村 | |
◎ | ⑰ | 二ッ屋口(ふたつやぐち) | (19) | 飛騨市河合町二ッ屋 | 越中長谷村 |
◎ | ⑱ | 小豆沢口(あずきさわぐち) | (20) | 飛騨市宮川町小豆沢 | 越中蟹寺村 |
⑲ | 加賀沢口(かがそぐち) | 飛騨市宮川町加賀沢 | 越中加賀沢村 | ||
⑳ | 渚口(なぎさぐち) | 高山市久々野町渚 | (中関) | ||
21 | 山之口口(やまのくちぐち) | 下呂市萩原町山之口 | (中関) | ||
22 | 阿多粕口(あたがすぐち) | 高山市久々野町阿多粕 | (中関) | ||
◎ | 23 | 中山口(なかやまぐち) | 飛騨市神岡町中山 | 越中蟹寺村 | |
◎ | 24 | 荒田口(あらたぐち) | (21)(22) | 飛騨市神岡町横山 | 越中猪谷村 |
25 | 茂住上口(もずみかみぐち) | (23) | 飛騨市神岡町茂住 | 越中長棟村 | |
26 | 茂住下口(もずみしもぐち) | 飛騨市神岡町茂住 | 越中長棟村 | ||
27 | 跡津川口(あとづかわぐち) | 飛騨市神岡町跡津川 | 越中長棟村 | ||
28 | 山野口(やまのぐち) | 飛騨市神岡町下本 | 越中有峰村 | ||
29 | 和佐保上口(わさほかみぐち) | 飛騨市神岡町和佐保 | (中関) | ||
30 | 和佐保下口(わさほしもぐち) | 飛騨市神岡町和佐保 | (中関) | ||
31 | 平湯口(ひらゆぐち) | 高山市奥飛騨温泉郷平湯 | 信州大根川 | ||
△ | 32 | 中尾口(なかおぐち) | 高山市奥飛騨温泉郷 | 信州 | |
※(中関)は飛騨国内の中間にある関 |
5-1-1 上ヶ洞口留番所 口役銀取立帳
5-1-2 飛騨の番所位置