5-2-(7)-1 上ヶ洞口番所 普請出来形帳
益田郡上ヶ洞口留番所屋根葺替、並びニ木戸建替御普請御入用出来形帳
一 桁行四間
壱ヶ所
梁間三間半
板葺
此の屋根
坪拾八坪
但 四方壱尺五寸宛
葺出し共
一 木戸 壱ヶ所 但 高九尺
横七尺五寸
附 扉弐枚
是れハ、屋根葺替は拾壱年以前子年(ねどし)、木戸は弐拾壱年以前寅年、右弐か年とも長谷川庄五郎御代官所の節御普請仰せ付けられ候処、屋根並びニ木戸柱扉悪く朽ち損じ申し候ニ付き、此の度御普請仰せ付けられ候。
右御入用
雑木四本 但 長さ弐間壱尺より三間半迄
目通り壱尺五寸廻り二尺七寸廻り迄 根伐(ねき)り
内
破風板木 壱本
板留木 壱本
猿頭木 弐本
押木 壱本
雑木四本 但 長さ三間壱尺より四間弐尺迄
目通り三尺四寸廻りより弐尺七寸廻り迄 根伐り
内
木戸柱 弐本
冠木 壱本
和柱木 弐本
□枚木 壱本
□木 壱本
扉木 壱本 (長さ壱丈弐尺八寸 五寸角)
扉木 壱本 (長さ九尺 六寸角)
一 金弐分永百四拾八文 葺榑(ふきくれ)代
此の葺榑弐千七百枚
但 長さ四尺八寸 巾四寸 厚さ壱分
千枚ニ付き永二百四拾文
一 永弐拾八文 釘代
永拾六文八分 長さ三寸釘代
永拾壱文弐分 長さ四寸釘代
一 永五拾七文三分三厘 木挽(こびき)賃永飯米共
但し、同村ニて相雇い候ニ付往来これを除く
一 金弐分永三拾三文弐分八厘 大工作料飯米共
此の大工数拾六人 但 一日一人ニ付
永三拾三文三分三厘
一 米六斗五升 人足飯米
此の人足百三拾人 但 一日一人ニ付
米五合ずつ
小以(こい) 金壱両壱分永拾六文六分壱厘
雑木 八本
右は益田郡上ヶ洞村口留御番所屋祢葺替並びニ木戸建替御普請仰せ付けられ、出来形書面の通り御座候。以上
宝暦四年戌四月 山下吉四郎 印
〔解説〕
「出来形帳」は普通、公共の建物のほか、橋・道路・川除(かわよけ・堤防)等の事業が完成した時に、工事の規模、用材の木品(きじな)・大きさ、杣・木挽・大工賃、人足賃、飯米等を詳細に記録して御役所へ提出したもので、幕領時代の公共事業の実態を知る上で最も大切な史料である。
この出来形帳によると、宝暦四年(一七五四)当時の上ヶ洞口留御番所は、四間×三間半という極めて小さい建物であったことがわかる。
その後改築があったとしても、国内の御番所の建物は小規模なものが多かった。
文政二年(一八一九)に建て替えられた羽根口御番所は四間×三間。弘化三年(一八四六)に建て替えられた二ッ屋口御番所は五間×三間半の萱葺(かやぶ)きで、間取は次の図のようであった。
二ツ屋口番屋建替 桁行五間
梁間三間半
ちなみに、この出来形帳の決算は永勘定(えいかんじょう)で記録されているので経費の計算はわかりにくいが、大工作料(飯料を含む)の永三三文三分三厘は、銀勘定に直すとおよそ銀二匁となり、市井の上大工(じょうだいく)並の賃金が払われていることがわかる。
人足は村から差出した人足のことで、一日昼飯料として一人当たり米五合が支払われている。