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[二ッ屋御番所口役銀取立帳]

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岐阜県歴史資料館・飛騨郡代高山陣屋文書1-55-71 (5-1-1 図 ⑰)

5-2-(19)-1 二ッ屋御番所口役銀取立帳

 二ッ屋村は村高四石六斗余、家数五件(元禄検地当初)という極めて小村であったが、隣国越中は外様大名加賀前田藩の支藩であり、金森氏領国時代から国境紛争が絶えなかったので、寛政二年(一七九〇)の施政改革の時も廃止されることなく存続していた。
 別紙「口役銀取立一覧表」によっても明らかなように、二ッ屋口御番所は口役銀取立が目的ではなかったことがわかる。
 この「口役銀取立帳」に記載されている荷主はほとんど越中八尾と井波の小商人(あるいは歩荷)で、地元では元田村の与三右衛門・与三郎の二人が稗八斗を運んでいるのみである。
 八尾・井波の人々は、古川町あたりまで往来したものと思われる。
 
 
5-2-(19)-2 二ツ屋口御番所取立口役銀品目一覧表
   (安政4年5月分・文久2年12月分・明治2年4月分)
①安政4年(1857)5月分
 ・新暦対照5月23日~6月21日
 ・口役荷物通行日数 1ヶ月30日のうち6日
 二ッ屋口安政4年5月分の口役荷物集計(件数が少ないため、日付けごとにまとめた)
月 日品 目出荷物数 量口役銀荷主の名前・出身地等
入荷物
4月8日諸紙(しょし)不明2貫8分4厘越中富山代助
15日干鰯(ひいわし)4004分7厘越中長谷吉兵衛
20日小鯖(こさば)2256分1厘越中八尾佐右衛門
〃 素麺(そうめん)1貫500目4分1厘越中□□宅右衛門
22日干ぜんまい
(ほしぜんまい)
6貫500目9分8厘八尾忠蔵
23日砂糖1斤半2分7厘八尾甚右衛門
〃 飴(あめ)2貫100目4分5厘八尾甚右衛門
27日小鯖4501匁2分2厘八尾吉四郎
合わせ 通行口役荷物 6日間に8件 口役銀5匁2分5厘
○江戸時代はいわゆる山中紙・高山紙の生産が盛んであったが、他国の紙も入っているので、ここでは諸紙を出入不明とした
②文久2年(1862)12月分〔この月、口役荷物の通行1件もなし〕
 ・新暦対照は1月20日より2月17日 真冬厳寒の時期である。
 ・12月中は雪多く積もり、役荷物の通行が1件もなかった旨、取立帳の末尾に記録されている。

③明治2年(1869)4月分(新暦対照5月12日~6月9日)

 二ッ屋口を通って飛騨から越中側へ出たと考えられるもの
 品 目記帳件数数量合口役銀合主な荷主の名前・出身地等
1干ぜんまい517貫600目永 44文1分越中井波・八尾商人
2出煙草(でたばこ)112斤永 10文7分越中井波惣兵衛
3蛹ひび12貫100目永 16文8分越中井波吉左衛門
備考○どの品目も越中井波と八尾の商人が買いつけたものと考えられる。

 二ッ屋口を通って越中側から飛騨へ入ったと考えられるもの (一)食品
 品 目記帳件数数量合口役銀合主な荷主の名前・出身地等
161石3斗永 43文3分越中八尾の人5人
2大麦52石永 60文  越中八尾勘四郎・長八
328斗永 13文2分元田村与三衛門・与三郎
456斗9升永 93文5分越中井波吉右衛門・惣兵衛・惣四郎・八尾惣兵衛ほか
575,250永105文1分越中八尾孫四郎3000ほか八尾井波6人300~600ずつ
6小鯖3970永 43文6分越中井波和吉620ほか八尾2人
7干鯖1700枚永 17文6分越中小出村吉兵衛
8塩鯖16貫800目永 13文7分越中井波和吉
9田作(たつくり)11石1斗永 40文5分越中八尾孫四郎
備考○魚の移入が多く、穀物の往来は少ない。  
○元田村与三右衛門・与三郎の稗は歩荷かもしれない。 

 同上 (二)小間物・雑貨・その他
 品 目記帳件数数量合口役銀合主な荷主の名前・出身地等
1小間物518貫永 25文  越中八尾孫三郎・城端伝右衛門・井波和吉ほか
2諸紙(しょし)12貫500目永 17文5分越中井波吉右衛門
3笠緒(かさお)2700筋(すじ)永 12文5分越中井波和吉500筋・越中井波和吉200筋
4苧かせ(おかせ)110貫500目永 52文  越中戸出村太右衛門
5手桶26ッ永 5文2分越中八尾惣四郎4ッ・越中八尾甚助2ッ
6130把(ば)永 9文  越中井波又八
7銭(ぜに)14貫永 10文  越中八尾源蔵
8荏粕(えかす)115枚永 10文  越中井波吉右衛門
備考○荏粕は荏(えごま)から油をしぼった粕。家畜の飼料としたという。
○苧かせは麻苧の束か。口役銀が高い。出荷物かもしれない。
○諸紙は出荷物かもしれないが、越中八尾付近はいろいろな紙を生産していたので、一応移入品と考えた。
 荷主吉右衛門は、越中井波の小商人か歩荷であろう。