5-2-(20)-1 小豆沢口御番所口役銀取立帳
小豆沢口御番所は、飛騨から西猪谷口(にしいのたにぐち)を経て富山へ通じる、いわゆる越中西街道の国境(現富山県との県境)にある、国内で最も重要な口留番所の一つであった。
この越中西街道は古くから越中東街道と並んで、米・塩・魚の道として栄えていたが、冬になると東街道よりも積雪量が多く、寛政年中(一七九〇年頃)以降、越中東街道の道筋及び舟津町村(現飛騨市神岡町舟津)・八日町村(現高山市国府町八日町)等の荷物問屋の整備が進むにつれて、次第に物資の通行量が減少していく傾向がみられた。
冬期に越中西街道が途絶した一例が、次に掲載する「嘉永二年十一月分・小豆沢口御番所口役銀取立帳」にみえる。
すなわち、嘉永二年(一八四九)の十一月一カ月のうち、十三日から十八日まで、二十日から二十八日まで、合わせて十五日間通行が途絶している。
そして、通行が再開された二十九日には二七件の口役荷物の往来が記録されているが、そのうち一五件が米(三一石八斗二升)、一一件が楮(五二六貫七〇〇目)である。
おそらく重量のある米と楮は橇(そり)を利用して運搬されたものと推測される。
二十九日の取立帳には、米と楮の二六件のほかには大麦と荏粕(えかす)の二件が記録されているに過ぎない。