5-2-(24)-1 中尾口御番所口役銀取立帳
寛政二年(一七九〇)、大原騒動が一応の終止符を打ったあと、それまで三一カ所に置かれていた口留番所が一七カ所に削減された時、飛騨と信州を結ぶ重要地点にあった平湯口番所も廃止された。
しかし、高原郷や越中方面の人々がその不便を訴えたので、天保六年(一八三五)八月、高原郷中尾村を通って信州上高地側へぬけるいわゆる飛騨新道(およそ一二キロメートル)が整備され、神坂村に中尾口御番所が設けられた。
それまでの経過、村人たちの苦労を物語る史料は数多く遺っているが、しかし、実際に開通してみると、人や物の往来の数は少なく、冬期は通行も途絶した。
その実態は、次の口役銀取立帳集計からも推測することができる。
5-2-(24)-2 中尾口御番所口役銀取立品目別一覧表 |
①万延元年(1860)8月分(新暦の9月15日~10月13日にあたる) | |||||
◎ 中尾口を通って飛騨から信州側へ出たと考えられるもの | |||||
品 目 | 記帳件数 | 数量合 | 口役銀合 | 主な荷主の名前・出身地等 | |
1 | 山葵(わさび) | 1 | 5斗 | 2匁5分 | 信州大野田村徳次郎 |
2 | 熊の皮(くまのかわ) | 1 | 1枚 | 8分 | 高山新町長右衛門 |
3 | 薬種(やくしゅ) | 1 | 3貫 | 2匁4分 | 信州大野田村周右エ門 |
4 | 芍薬(しゃくやく) | 2 | 43斤 | 2匁5分 | 越中笹津兵十郎・越中富山源助 |
5 | 桔梗(ききょう) | 1 | 20斤 | 1匁6分 | 越中富山源助 |
備考 | ○芍薬と桔梗はその根のこと。薬。薬種・芍薬・桔梗は、信州から越中への通過荷物と考えるべきかもしれない。 (国内産が中尾口を通るとは考えにくい。) | ||||
◎ 中尾口を通って信州側から飛騨へ入ったと考えられるもの | |||||
品 目 | 記帳件数 | 数量合 | 口役銀合 | 主な荷主の名前・出身地等 | |
1 | 玉子 | 1 | 135 | 2分5厘 | 信州松本又吉 |
2 | 饂飩粉(うどんこ) | 1 | 3斗 | 2分7厘 | 越中富山佐助 |
3 | 売薬 | 6 | 4貫500目 | 3匁5分8厘 | 越中富山5人・水橋1人(通過荷物の可能性が大きい。) |
4 | 小間物 | 3 | 1貫200目 | 9分9厘 | 信州松本・越中富山・越中余□ |
5 | 刻煙草 | 2 | 3貫100目 | 3匁8分7厘 | 越中富山佐助・越中□々九郎兵衛 |
6 | 蚕種 | 1 | 25枚 | 3匁 | 奥州会津孫右衛門外1人。奥州蚕種が信州を通って飛騨へ入った例。 |
7 | 小梨子(こなし) | 2 | 2,800 | 2匁 1厘 | 信州松本常右衛門・越中富山佐助 |
8 | 竹籠 | 1 | 14 | 2分1厘 | 信州松本宿常右衛門 |
②文久元年(1861)4月分(新暦4月29日~5月28日にあたる) | |||||
◎ 中尾口を通った口役荷物(全) | |||||
品 目 | 記帳件数 | 数量合 | 口役銀合 | 主な荷主の名前・出身地等 | |
1 | 猪の皮(いのししのかわ) | 1 | 2枚 | 8分 | 越中富山佐助 |
2 | 売薬(ばいやく) | 5 | 1貫800目 | 1匁4分4厘 | 越中水橋5人 |
3 | 麦粉(むぎこ) | 1 | 2斗 | 5分4厘 | 信州大野□ |
4 | 芍薬(しゃくやく) | 1 | 5斤 | 3分 | 越中富山佐助 |
備考 | ○前年の万延元年8月分23件から8件へと減少。その理由はよくわからない。 | ||||
③文久元年(1861)6月分(新暦7月8日~8月5日) | |||||
◎ 中尾口を通った口役荷物(全) | |||||
品 目 | 記帳件数 | 数量合 | 口役銀合 | 主な荷主の名前・出身地等 | |
1 | 米 | 2 | 1石2斗8升 | 2匁5分8厘 | 高山嶋川原町吉助 |
2 | 蛹(さなぎ)・絸(まゆ) | 4 | 18石1斗 | 75匁1分8厘 | 中尾村伴次・同忠右衛門・信州藤田村太平 |
3 | 売薬 | 1 | 500目 | 4匁 | 信州松本藤七 |
4 | 味噌 | 1 | 3斗 | 1匁8分6厘 | 高山嶋川原町吉助 |
5 | そうけ | 1 | 10ッ | 1分8厘 | 笹島村次平 |
備考 | ○この街道を繭が信州側へ運ばれている。 |