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(2)天保十一年(一八四〇)より同十五年(一八四四)まで 文政八年(一八二五)と差引 諸口役金月々増減帳

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岐阜県歴史資料館・飛騨郡代高山陣屋文書1-55-30-2
 

5-3-(2)-1 天保11年(1840)より同15年(1844)まで 諸口役銀月々増減帳

 天保十年(一八三九)の「口役金(ママ)月々増減帳」は、前年の天保九年(一八三八)との比較を各口番所ごと月別の増減を記録しているが、この天保十一年(一八四〇)から同十五年(一八四四)までの増減帳は、その表紙にいずれも「文政八酉年と差引」と明記されているので、文政八年(一八二五)の月別集計分と比較してその差を記録したものと考えられる。
 しかし、なぜ文政八年を規準としたのかその理由がわからない。文政八年分の口役銀取立帳は遺っていないが、とりあえず、手がかりを求めて天保十一年の「諸口役金月々増減帳」の一部を示してみる。
 
   子正月増の分
                        御厩野口
一金三分永百五拾三分               田中利一郎
                        門和佐口
一金三分永弐百弐拾文八分             不破半平
                        福来口
一金壱分永八拾六文八分              住為右衛門
                        上馬瀬口
一金壱分永百拾六文壱分              二村丈助
                        大原口
一金壱分永百五拾文三分              冨田小藤太
                        小豆沢口
一永九拾九文弐分                 飯村次郎
                        中山口
一金三分永百三拾弐百九文三分           土屋文平
                         青山友三郎
  小以 金三両壱分永弐百九文三分
 
   同月減の分
                        上ヶ洞口
一永弐拾六文九分                 山崎十郎右衛門
                        下原口
一金四両三分永百六拾五文七分           野瀬平次郎
                         長瀬詮右衛門
                        下馬瀬口
一金壱両永六拾三文三分              直井兵右衛門
                        野々俣口
一永七拾九文弐分                 吉住順之助
                        羽根口
一永四文五分                   西惣七
                        二ッ屋口
一永百弐拾七文五分                松井惣兵衛
                        荒田口
一永五拾八文七分                 飯山三郎兵衛
  小以 金六両三分永弐百五文八分
 
    差引
     金弐両三分永六拾六文五分 減
 
 この年は増減差引して、金二両三分永六六文五分の減収となっている。
 その後天保十五年までの史料には一部不備な点もあり、早急な断定は避けなければならないが、次に示す二つの国中合増減表から、天保十年代の飛騨の経済は、いわゆる天保の大飢饉を乗り越えて、やや上昇傾向に向かっていたのではないか、と考えられる。
 
 
5-3-(2)-2 天保11年~15年(各1月分)口役金国中合増減表
(増減は文政8年1月との比較)
 天保11天保12天保13天保14天保15
(1840)(1841)(1842)(1843)(1844)
下原口4両3分 1両3分1両1分1両1分
 永165.7 永104.7 永172.3 永 71.0 永193.3
御厩野口  3分1両3分―――2両1分  3分
 永253.0 永127.9 永193.4 永240.9
上ヶ洞口  1両1両1分3両1分
 永269.0 永 7.3 永138.6 永199.1 永100.8
大原口   1分  1両  3分
 永250.3 永104.7 永 90.2 永154.0 永208.0
小豆沢口     
 永 99.2 永 35.6 永 79.3 永131.8 永121.5
荒田口    1分3両1分  1分
 永 58.2 永 58.7 永 12.6 永110.0 永 86.6
二ッ屋口     
 永127.3 永127.5 永 64.2 永127.5 永 79.8
小白川口
―――――――――――――――
野々俣口      
 永 79.2 永103.7 永 14.2 永 59.3 永 11.2
二ッ屋口    1分   
 永127.5 永127.5 永 64.2 永127.5 永 97.8
国中合2両3分1両1分8両9両6両1分
 永 66.5 永 57.7 永 19.2 永208.2 永134.7
記載口番所7か所8か所11か所9か所10か所
増減別数7か所7か所 2か所5か所 4か所
○口番所は17ヵ所あったがこの増減帳に記載されていない番所があり、記載されているのは毎年13~15ヵ所分である。その理由は不明である。表中―――で示しているのは、その番所の記載がないことを示す。
※この表は文政8年(1825)の月別集計分と比較してその差を記録したもの。

5-3-(2)-3 天保11年~15年(各2月分)口役金国中合増減表
(増減は文政8年2月との比較)
 天保11天保12天保13天保14天保15
(1840)(1841)(1842)(1843)(1844)
下原口9両2分5両3分1両1分2両1分4両3分
 永 92.8 永 2.8 永147.3 永139.2 永245.8
御厩野口2両2分  2分3両3分2両1分  2分
 永 72.7 永 75.0 永188.5 永193.4 永169.5
上ヶ洞口1両   2分1両1分2両3分
 永169.2 永172.7 永221.6 永199.1 永 23.5
大原口  1分  2分1両1分1両  3分
 永128.0 永258.0 永 70.7 永154.0 永 6.7
小豆沢口  2分   1分   2分
 永 47.4 永177.6 永245.6 永131.8 永 44.9
荒田口  1分3両2分9両2分3両1分6両
 永 95.7 永189.5 永 74.0 永110.0 永123.5
二ッ屋口1両1分1両1分    2分
 永 80.9 永 24.0 永 91.3 永127.5 永152.0
小白川口
―――――――――――――――
野々俣口  2分  1分   
 永129.5 永 1.2 永224.7 永 59.3 永194.2
二ッ屋口1両1分1両1分1両   2分
 永 80.9 永 24.0 永117.0 永127.5 永152.0
国中合16両3分2両9両9両2両3分
 永 90.8 永160.7 永154.7 永208.5 永197.1
記載口番所3か所7か所6か所9か所9か所
増減別数10か所7か所7か所5か所5か所
○白川口の増減が全く記載されていないこと、年度によって記載される口番所の数が変化している理由は不明。
○短期間であるからはっきりした判断はできないが、全体として国内の経済が上向きであったと推定される。